解説 九酎産業大学 笑学部焼酎産業学科教授 杜 伊蔵

網上における焼酎画壇の世界では、現在、関東酒実主義の長老と言われるひるね蔵秘剣画伯を筆頭に、薩摩飲象派の重鎮・台帳管理人画伯など、多くの焼酎アート作家たちが覇を競っておるのであります。

さて、今回はめーで隊員のご依頼によりまして、筑前を基盤にゲージュツ活動を行っております暇牛の作品を“回顧”することと致しました。

暇牛の作風は、基本的にジョン・ハートフィールド系の「フォト・モンタージュ」が主流であり、“ダダ”の影響を色濃く見せております。また、そこはかとなくマルセル・デュシャンの影もチラホラするのもご愛敬と申せましょう。

で、なぜ基本がフォト・モンタージュなのかと申しますと、基本的に暇牛には絵心がない、絵画の技術がまったくない、というのが大きな理由であります。技術的不備をモンタージュで煙に巻く、というのが彼の基本的な作法と見て間違いはありません。

というわけで彼の画風の背景をご説明したところで、各ゲージュツ作品を“鑑賞”していくことと致します。


『階段を急速に下降する裸体の一升瓶』 2000年5月24日

彼の習作時代のもの。タイトルと内容の不分明さ、ズレが極めてダダ的。「レディメード一升瓶」の概念を本格焼酎に持ち込んだところは、マルセル・デュシャンの影響が大である。また強調されている一升瓶の曲線美は、マン・レイのヌード作品をイメージさせる。

『mori izou1』 2000年10月27日

彼のライフワークと言える「mori izou」との格闘の第1作目。聖(mori izou)と俗(猛牛)の、拮抗、軋轢が顕著ににじみ出た作品である。終生、貧窮に苦しんだ彼だが、貧しき庶民のスタンスからmori izou的なるものを告発している。ピカソ『ゲルニカ』との精神的距離は極めて近い。

『mori izou2』 2000年12月04日

「mori izou」との格闘の第2作目。コメディ界のダダ的存在『モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス』の、あの有名な「足」をモンタージュした作品。mori izouに対する怨念が噴出している勢いは買えるが、彼の絵画技術の無さが見事に露見しており、モンティのまんまという点で評価は低い。

『Body &Soul with 伊佐錦コップ』 2000年12月21日

彼が愛した偉大なるジャズシンガー、ビリー・ホリディの有名な作品『奇妙な果実』のフォト・モンタージュ。単にジャケ写と伊佐錦のお湯割りグラスを組み合わせただけなのだが、「聖と俗の拮抗・軋轢・逆転」という彼の基本テーマが最も開示されている作品と言えよう。

『fly 麦シャッパ to the moon』 2001年01月10日

宇宙時代を向かえた本格焼酎をテーマにした作品。『2001年宇宙の旅』に登場するモノリス的な深い精神性と宗教的啓示を表現している雄大なフォトモンタージュである。『mori izou』シリーズとは対極をなすところは、前作『Body &Soul with 伊佐錦』と共通している。

『asahi』 2001年01月22日

ポップアートの巨匠、アンディ・ウォホールのまんま、という極めて評価の分かれる作品。この作品でも「聖と俗の拮抗・軋轢・逆転」というテーマは通底しているが、あまりにウォホールの影響が濃いのが難点。アルバム『VELVET UNDERGROUND & NICO』の盗作とも言われている。

『とことん ノム太郎』 2001年02月05日

彼の画風における転機を示した作品で、自画像との説もある。これも一連の『mori izou』シリーズとなるもので、聖と俗の既成概念の転覆という基本テーマが貫かれている。極めてプリミティブなタッチだが、太い輪郭線と色による構成はモンドリアン『ブロードウェイ・ブギウギ』の影響が見え隠れしている。

『博多湾沿岸』 2001年02月14日

台帳管理人画伯の作品を盗作したとして問題になったもの。しかし薩摩飲象派の影響を受けながらも、ドームやタワーの形状表現が単純化・酎象化する傾向が見られる。牛ービズムへの移行を予感させる先駆的な作品と言え、酎象表現へと深化するメルクマールともなった。

『酎 酎 ch' Boogie』 2001年02月18日

1940年代のアメリカ黒人大衆音楽の巨匠、ルイ・ジョーダンらしきLouis Youjanなる人物が『百合』を手にしているという構図。土俗的大衆生活酒である本格焼酎と体臭ぷんぷんのブラック・エンタティナーの組み合わせは、単純に暇牛の好みだけで、モンタージュとしては失敗作であろう。

『焼酎戯画』 2001年02月26日

日本の戯画の古典である鳥羽僧正の『鳥獣戯画』のモンタージュ。鳥羽僧正が草葉の陰で泣いているとの話もあるが、根底にある「mori izou的存在」に対して視線は本作でも不変である。逆に言えば、この様な諧謔も飛び出すほどに、本格焼酎が出世したことの証左であるとも言えよう。

『CAN'T MEET THE PREMIUMS』 2001年03月06日

ビートルズの日米デビューアルバムとして高名である『MEET THE BEATLES』のジャケ写もどきの作品。同アルバムのモンタージュでは、アメリカのTHE RESIDENTSによる『MEET THE RESIDENTS』という過激なパロディが先行例してあるが、その分この作品の起爆力は弱いと言えよう。

『テイスティング・ルーム』 2001年03月09日

ルネ・マグリット的にmori izouを解釈したモンタージュ。超現実的に肥大化したmori izouは、もちろん現実のmori izouではないが、では真のmori izouを識っている人間がどれだけいるのか・・・。一見哲学的作品ではあるが、単に作者は肥大化しすぎたmori izou幻想をおちょくっただけかもしれない。

『届かねぇっぺ』 2001年03月21日

アメリカンアートの作家ワイエスの有名な作品「クリスティーナの世界」にmori izou的概念を持ち込んだモンタージュ。原作が持つ寂寞感になぜか一升瓶と北関東風セリフという、ミスマッチな感覚が本格焼酎ゲージュツとしての本領を見せてくれる。彼女が求めても決して求め得ぬモノとは一体なんなのか。

『割増酒屋一本桜』 2001年03月31日

蔦屋重三郎プロデュースによる謎の絵師「写楽」の作品を使ったモンタージュ。歌舞伎の演目は、時代設定を変えながらも当時の幕藩体制を風刺したものもあるが、この作品では歌舞伎のタイトル風に託して当世本格焼酎事情を皮肉ったものになっている。さて、タイトルが意味するものとは・・・。

『メタモルフォーズ』 2001年04月10日

本格焼酎を未来派的に解釈したモンタージュ。ブランドがメモルフォーズしていく動的なプロセスを同一画面上で表現したもので、未来派の影響が大である。本家の未来派と同様に、焼酎フューチャリズムにおいても焼酎資本主義の深化や焼酎情勢の緊迫感と密接な関係が見られるのである。

『旅行けば、黒の15』 2001年04月29日

割り水済みで旅行に最適という芋焼酎『黒の15』を、江戸期の風景版画家で印象派にも大きな影響を与えた歌川広重の名作『東海道五十三次』にコラージュした作品。ただボトルをはめ込んだだけ、という考えの無さが露呈しているが、暇牛にとっての『黒の15』飲用シーンのイメージは錦絵だったであろう。

『驚額への叫び』 2001年05月17日

今まさにブームの最高潮を迎えようという本格焼酎であるが、プレミアム価格も花盛りとなっている。店頭で既成概念を超越する価格を見た暇牛は、実存的不安を覚えたのであろう。驚愕的価格、つまり驚額への怒りがムンクのあの名作の下世話なコラージュに息づいているのが確認できるのである。

『考える飲んごろ』 2001年05月23日

夏に焼酎をいただく上で、暑さに負けてロックとするか、我慢してやはりお湯割りで行くか、焼酎飲みにとって哲学的命題なのである。『本格焼酎の日・銘柄団扇』を手にした飲んごろThinkerの悩みは深い。現代焼酎人の季節的アイデンティティの危機を正面から扱った意味は極めて大きい。

『Drinkin' High With Kuro Isanishiki 2001年06月13日

パーカーと共にBE-BOPの象徴となったディジー・ガレスピー・・・らしきトランペッターが一升瓶をミュート替わりに演奏しているというモンタージュ。ガレスピーはジャズ・プレイヤーながらも大衆芸能的なセンスあふれる楽曲・パフォーマンスも残すなど、ある種本格焼酎との距離は意外に近い。

『Cadeau的mori-izou』 2001年06月26日

ダダイストで有名な写真家でもあったマン・レイの名作『Cadeau』の概念を本格焼酎に導入した作品。くさびが幾本も突き出たアイロンがそのまま一升瓶に置き換わったという創造性の無さは相変わらずである。しかし、mori-izou的存在の“実用的に見えながら非実用的”な特性を表しているかのようである。

『mori-izou』 2001年07月03日

近代ポスターの祖とも言うべきカッサンドルのスタイルで表現されたmori-izouではあるが、御本家とは位相が違うなんとも簡潔すぎる描法が難点。しかしながら、ボトルの力強い表現の中に、焼酎資本主義の発展、産業化がバラ色として捉えられていた時代背景を色濃く見せている。

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