■粕取焼酎の飲まれ方の背景にあった民俗世界。
粕取焼酎が、かつてどのような生活の場で飲まれていたかについて、若干触れる。
●早苗饗(さなぶり)
この言葉、『語源大辞典』(東京堂出版)によれば、田植えの終わりの祝いを意味する。サナボリ、サノボリ、サナウリ、サナゴなどの言い方が残る。田植えの始めのサオリに対する言葉で、サは田植えの神を指し、「サ降り=サオリ」「サ昇り=サノボリ」と神の降臨と天への帰還を表していると同書にあった。
かつて田植えには田楽という芸能が付き物であったが、それは農作業の厳しさを和らげるためにも必要であったという。最もハードな作業といわれる田植えの後に、振舞酒として宴席に出されたのが「早苗饗(さなぶり)焼酎」である。田植えの最後に神を見送るねぎらいの場は粕取焼酎の酒盛りだった。
ところで、労働集約型、つまり人手が掛かる産業であった昔の農業地帯では、農作業や家屋の普請なども近隣が協力して作業にあたっていた。各戸の作業に互いが人手を出し合うという、村落共同体内での相互扶助の連帯が、早苗饗焼酎の背景にある。
早苗饗焼酎については、現在の時点で福岡県筑後地方や佐賀県でも同様の飲用慣習があったことを確認した。多分他のエリアでも同様であった可能性が高いが、確認できていない。
ちなみに早苗饗の名を冠した粕取焼酎は、杜の蔵さん(福岡)、天吹さん(佐賀)の2蔵が商品化している。
●盆焼酎
焼酎は俳句の季語では夏である。筑前・筑後や肥前にしても、焼酎を夏の暑気払いに飲む風習が拡がっていたようだ。それが「盆焼酎」という言葉になって遺っており、福岡や佐賀でも同じ文句が使われていた。
先に触れた福岡市早良区の酒販店の大将は、「盆焼酎と言うて、夏場の暑いときによく飲まれていたもんでね。氷砂糖を入れて飲むんだ」と往時の状況を語っていた。
ところで福岡市早良区西部から西区にかけて今は都市化が伸展して見る影もないが、20年ほど前までは田園が拡がる農村地帯であった。 |