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注記:窓の梅さんの粕取焼酎については終売となりました。蔵に問い合わせされてももう手に入りませんので、お問い合わせはお控えください。
下記記録は2002年時点でのものです。 |
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■評者雑感
●当該銘柄について: 佐賀県で最も古い元禄元年創業。佐賀市の隣、久保田町に縦横に走るクリークに浮かぶ蔵は貫禄十分。カップ酒の惹句「酒王」の名に相応しい歴史の重みがある。 冒頭の「名門蔵」ならではの有名なエピソードを一つ。 時は安政7年、酒造の横に咲いた梅の花が、窓の横にあった酒桶にひらり。たちまちにして、かつてない芳醇な香りが湧き上がったという。時の佐賀藩君主はかの有名な鍋島「閑艘」直正公。いうまでもなく藩を欧州なみの先進技術で重装備させ、幕末のキャスティングボードを握った名君であります。 蔵元はその直正公に「芳醇酒」を献上。公が、その香りに酔い、感嘆し「年々にさかえさかえて名さえ世に香りみちだる窓の梅が香」と称えられたという事であります。 それから、この蔵の酒は「窓の梅」と呼ばれる事になったと・・・・。 明治以降も、この名門蔵は輝かしい歴史に拘泥する事なく、純米酒普及のための純粋日本酒協会参加。また「吟醸酒の来た道」(篠田次郎著・名作!)でも取り上げられているように、早くからの吟醸への取り組み、と。佐賀酒、九州酒の質の向上に寄与してきた歴史がある。 生産量も九州トップクラスの実績を持つ、この質量備えた蔵が送り出す粕取り焼酎とは如何に・・・? ●ボトルデザイン: しかし、このラブリーなイメージをものの見事に破壊するロゴ。ひげ文字の「焼酎」の大書がこの焼酎の骨太さを予感させている・・・・といったら言い過ぎか(爆) 「焼酎」の周りには「純良粕製」という文字が、純粋日本酒協会の中心蔵としての衿持を感じさせ、「窓の梅」の流麗な文字が品格をこのラベルに与える。 首ラベルは、このラブリー&骨太を引き継ぐ、梅のマークを散りばめた黄色地のラベル。 しかし天山といい、窓の梅といい佐賀の蔵はラベルにローマ字を入れるのがお好きなようだ(爆) ●香り: 後から後から立ち上ってくるスモーキーなスメルに幻惑され、やがてやめられなくなる程の常習性を持った人は真のカストリもんである(*^^*)。 油分系の臭いは軽いので、嗅いでいくと爽やかな木香が感じられるのは私だけか(自爆)。 『焼酎盆地』主宰のSASANABA氏が「精米所の屋根裏の匂い」と評したのは、実に的確と思われる。 この籾殻&木香の匂いはヤワなもんが手を出したら命とり。カストリもんが手を出したら違った意味で命取りになる常習性を持つ。 ●味わい: 次ぎにロックで飲ってみた。 ●レッドブック度: 「製造を今年から中止する」 というものであった。 理由は「粕取りの粕を濾す機械が故障してしまい。修理不可能とのことで、今、在庫分しか出荷できない」とのことだったが、粕取りユーザーの高齢化、この不況下での商品整理、などが遠因として考えられよう。どの蔵もやめる理由は多くの場合、一緒なので・・・。 この焼酎は、北部九州の「早苗饗(さなぶり)」粕取り本来の伝統的製法、木の蒸篭、籾殻等を使っているという事で、福岡の地元誌『FUKUOKA STYLE』の焼酎特集で、伝説的な大分・福岡の酒屋の主人であり、プロデュースした焼酎の銘柄でも有名な「酒の手帳」・荻本氏が取材された程である。 文化財にも等しい江戸時代の文献にも記されているという「肥前の火酒」を受け継ぐ文化財的逸品だったが・・・・・・。 また一つ粕取りの火が消えてしまった。 |
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