2002.06.18 by 猛牛

■まさに蔵の風情横溢! 大麦100%焼酎の元祖『天盃』さん

我ら4人を載せた車は、杷木町からGO WEST。同じ朝倉郡内にある三輪町の『天盃』さんを目指す。初夏の陽射しの中で緑が萌える、九州でも有数の穀倉地帯である筑後平野を快適に走り抜ける。ん〜〜ん、よかドライブ日和だなや。

田や畑がどこまでも広がる中に、こんもりとした小山が現れてきた。その横に次の訪問先である『天盃』さんはあった。古式ゆかしい土蔵づくり母屋が見える。時の風雪に耐えたちゅーか、重みのある風情ですにゃ。

まずお出迎えいただいたのは、代表取締役専務の多田 格さん。挨拶もそうそうにさっそく蔵の中をご案内いただくことに。

ちなみに同社の主力ブランドは25度の『博多むぎ焼酎 天盃』で、40度の『博多山笠』や35度の『博多どんたく』も人気商品だ。

こちらも明治31年に創業した、筑後では老舗の蔵元さんである。たしかに歴史を感じさせる建物が、それを物語っているようだ。

■専務の丁寧なご説明で、製造工程を見学。

というわけで、蔵の内部に入る。まず、入口横に木製の台があり、そこに麦の穂と、麦の粒、小さな袋などが置いてある。

専務が麦の穂を手にとって、詳しい説明を始められた。

同社で使用されているのは地元・福岡県産の二条大麦。ふつう麦茶などで使われるのは六条大麦ですな。

わては無知やったですが、専務のご説明曰く、二条は麦の粒が穂先に2列で並んでいる、だから二条。六条だと6列。

原料としては二条の方が列が少ない分、粒が大きいので適しているという。実際に見てみると、確かに大きいのがわかる。

シャーレに入った麦の粒の横に、小さな小袋が・・。と見ると、それは河内源一郎商店さんの麹だった。

専務「うちでは、河内さんから特別に麦麹を取り寄せて使っています。白麹です。だから名実ともに100%麦焼酎なんですね」

酵母は清酒用のものを使用しているという。仕込み時は、けっこう温度管理が大変らしい。ふつう3時間に1回としたら、こちらでは15分に1回は温度をチェックする体制だという。

60%精麦された大麦、麹、種酵母で「もと(酉へんに元)」が作られるが、これに最も神経を使っているという。

専務「もと造りのために、うちでは社長自ら製作したタンクを使ってますね。これすべてオリジナルですよ」

微妙なんですな、菌という生き物の世界ですけんね。左画像は一次もろみ用のタンクである。もとで7日間、1次もろみで5日間の工程。

次ぎに覗かせていただいたのが、二次もろみがドンと入った大型タンク。

ん〜〜ん、なんとも甘酸っぱい香りが・・・。

もろみを「生」で飲ませていただく。これが焼酎に変わるんだなと思うと不思議。専務がさらにこれを水で割って飲ませてくれる。

お!酸味がさらに増して、スッパイこと。水で割るとさらにサワーになってしまうなんて、おもしろいなぁ。

■専務が見せた飲ませ方の妙技に、一同唖然!

さて、蒸留されて一旦タンクに落ちたものを試飲させていただく。まろやかで、しかも麦の香ばしさがほのかに伝わるいいお味である。けんじ隊員が『天盃』さんを訪ねたかった訳がよく解った。蔵で味わうこの一杯・・・たまりませんね。

さて、ここで専務が口を開いた。

専務「飲み方ひとつで、まったく味が変わるというのを、ここでご覧に入れましょうか。私は、生やお湯割り、水割りなど、それぞれ4〜5種類、全部で20種類以上の飲ませ方を知っているんですよ」

おお(@_@;)っと、驚いたのは4人。

専務「いいですか?この味を覚えて下さいね」

さっき試飲した焼酎をもう一度口に含む。

専務は別のコップを手に取り、両手で温めはじめる。5分後、同じ焼酎を温かくなったコップに移し替える。

専務「さあ、飲んでみて下さい」

口に含むと、後味が違う。含み香がさらに強くなった感じ。たしかに温かくなると分子の運動も激しくなるのだろう。

次ぎに専務が取り出したのは、貝印のカミソリ。は?(@_@;) あの平ぺったい刃のフツーの商品である。金属製の柄で、ぬぅあんとコップの底を「カン!カン!カン!カン!」と叩き出したではないか?!

専務「これも、飲んでみて下さい。最初の味は覚えていますね?」

飲む・・・・・・・・・。

猛牛「ふぅ〜〜! 後味が一段と凄い刺激ですね!(~Q~;)。荒々しくなってますよ」
専務「そうでしょう? ちょっとしたことでも味がこんなに変わるんですね。ですから、焼酎は買ったときにすぐ飲まないで、何日かそっとしてから飲んだ方がいいですよ」

以前だったか、ある方が買って帰ったばかりの泡盛をそのまま宴席に出したために、搬送の影響で味が割れてしまって失敗した、と嘆かれていたことがあった。わては、その話を思い出してしまった。

微妙ですばいねぇ、ほんとに。


■なんでも先取り! 多田社長が語る蔵と筑後の焼酎受容の歴史。

製造工程から試飲と専務のご説明を受けて、事務所に戻ってひと休み。と、そこに社長が今からいらっしゃるとの報を受けた。多田雅信代表取締役社長である。

失礼ながら、好々爺という言葉がピッタリの温厚な紳士である。さっそく、けんじ隊員が取材を開始した。

社長「え・・・私が蔵を継いだのは、いつだったか・・・そうそう、昭和25年でしたかねぇ・・・私は若い時分、焼酎屋が嫌いでしてね。イヤだったんですよ・・・で、そう、25年に私は税務署に納めないといけない何百万円だったか、家のお金をひっ掴んで家出しちゃった!(爆笑)

・・・それでも、帰ってこいっていうんで、昭和28年に家に舞い戻って継いだわけです・・・でも、どうしても家業に身が入らない・・・ある日のことやったですが、ふと思い直したんです・・・金儲けに徹してやろうって・・・

酒の世界というのは・・・戦争でいったん終わったんですよ・・・ね・・・原料の米が手に入らないし・・・色んなものを使ったり、混ぜたり・・・それが今も続いているでしょうが?・・・私もいろいろやりました・・・糖添、炭素、イオン交換とか・・・ほとんどは私が一番最初にやったもんばかりですよ・・・大麦100%焼酎もうちが最初です・・・

で・・・金儲けに徹してやろうって思ってから・・・混ぜものしたり・・・なんでもやっていて・・・実際に売れたんですよ・・・そりゃぁ、バカスカ売れた・・・・

どんどんお金が儲かったんです・・・・・・・・・でもね・・・・ある日のことでしたが、うちの焼酎を飲んだいただいた方が・・・みんな口を揃えておっしゃるわけだ・・・「おいしい」って・・・・みんなが言うんですよ?・・・・「おいしい」ってね・・・

私は・・・これはおかしい!って思ってですな・・・嗜好品ですから、好みが別れないはずはない!って・・・みんなが飲んでみんなが旨いっておかしい・・・だから、その後は、一切、混ぜものしたり、妙な手を加えることを止めたんです・・・

そしたら、ねぇ・・・・パッタリと売れなくなった(笑)

昔はこのあたり、本当にアル中の人が多くてねぇ・・・確かに「致酔飲料」としてはそうなんだけど・・・でも、それだけではいかんという気がしてねぇ・・・

焼酎蔵の地位は・・・やはり高いもんではないわけですよ・・・清酒がやはり主というか・・・今はもうそういうことは無くなったけど・・・昔はそうだったなぁ・・・

いつだったか穂積先生にはじめてご挨拶したときに・・・言われたんですよ・・・焼酎は産業廃棄物処理業だと・・・その時、なんて失礼な人だと頭に来ましてね・・・でも、よく考えると・・・その通りだと思いました・・・

ですから、うちでは、焼酎粕の処理に力を入れました・・・今では肥料として、完全に循環できるまでになったんですよ・・・近隣の農家とも手を組んでねぇ・・・

もろみ取りに移ったのは、戦争中ですな・・・米が手に入らないんで、酒が造れない・・・だから酒粕も手に入らんわけですよ・・・戦争で酒はいったんしまえたんです・・・」


同社が制作したパンフレット『焼酎読本』を頂戴する。これは、かつて有斐閣から新書として出版された本の中で、社長が書かれた小論を転載したものであるという。

その表紙裏に載せられた「本格焼酎事始め」という前書きにこうある。

「本格焼酎は、日本民族の酒として、五百年の歴史をもつ唯一の蒸留酒でありながら、これまで車夫馬丁の酒といわれ、また安直な致酔飲料と見られてきた。それがここ十数年来他の酒類を尻目に驚くほどのブームとなり、健康酒のイメージと、嗜好の多様化にマッチした酒として・・・(後略)」

焼酎屋がお嫌いだった多田社長の、一大発心とその後の長い戦いの結果がこの文章に滲んでいるようだ。

社長「昨年やったですか・・・息子に代表権を渡すことができましてね・・・これでもう安心というところですよ。ははは」

蔵の前に広がる、筑後平野のパノラマを一望する。

粕取からもろみ取りへ移行せざるを得なかった筑後の焼酎蔵の歴史・・・粕取焼酎の大ファンであるけんじ隊員は、この風景をどのような思いで見つめていたのだろうか・・・

(ぬぅあんて叙情的。ムフッ)


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