第1話 2002.06.17 by 猛牛

■一路、福岡県の最南東部・杷木町の『ゑびす酒造』さんへ。

今回のOn The Road、最初の訪問地は、筑前の最も南東にある杷木町。隣りはもう大分県という県境の町にある『ゑびす酒造』さんだ。長期樽貯蔵焼酎の嚆矢として全国的にも名高い『らんびき』の蔵元である。

若大将の店から1時間あまり、筑後地方ののどかな田園風景を走り抜けると、杷木町の中心部へ。大分自動車道・杷木インターからほど近い場所に蔵はあった。

事務所の玄関先にかかる墨痕鮮やかな看板が目に飛び込む。

以前から『らんびき』のファンであったというけんじ隊員の目がキラキラと輝く。道の片側に事務所と蔵、反対に倉庫が軒を連ねている。

筑後へお邪魔する機会はそうそう無いのだが、ゆったりとした雰囲気の中、晴天でなおかつあまり暑くない気候も相まって、極めて気分がよか・・・という感じ。

玄関を入ると、事務所入口の横に製造のプロセスをフロー化したパネルや、蔵内部の写真が飾ってあった。

さて恥ずかしながら、わては筑前人でありながら、同郷の焼酎に目が向いていなかった。故に、けんじ隊員のように詳しくなく、まったく真っ新の状態で今回のRoadに臨んだことを白状しましょう。

逆に言えば、新鮮ぬぅあんである(強がり)。

ふと目の前にある柱を見ると、古色に覆われたプレートが下がっていった。

『筑後焼酎製造組合員之章』

当蔵の歴史をジィ〜〜〜〜〜ン!と感じさせる品である。カメラがご趣味であるgoida隊員も一眼レフのシャッターをすかさず切っている。わての方も思わずデジカメを握る手に力が入る。

しかし、さすがにご挨拶前でのパチパチは失礼というもの。

「先にご挨拶して、後で撮影させていただきましょう」と、けんじ隊員。まさにその通りだ。思わず先走ってしまった(^_^;)。

というわけで、事務所にお邪魔する。

ミーハー丸出しの仕儀に及んだが、暖かくお迎えいただいたのは、田中勝海代表取締役社長。柔和な笑顔が印象的な方で、とても丁寧な応対に感じ入ってしまった。

■清酒の本場・筑後における焼酎蔵のポジション。

さて、社長との面談である。けんじ隊員はすかさず取材ノートとペンを取りだした。彼の詳細な情報は、管理サイトである『しょちくれケンちゃん』BBSのログでも拝見して感心していたのだが、やはり気合いが違う。

試飲でフラフラとなりうろ覚えになった談話を、“えんたてぃんめんと風”に粉飾決算するわてとは、志がふた味違うと言えよう(*^^*)

詳細な情報はけんじ隊員のレポートにお任せするとして、以降の内容についてはわてが特に印象深く思ったものに絞ってお伝えしたいと思います。

明治31年に焼酎の製造免許を取得して公的な創業を迎えた同蔵。社長のお話では自社はもちろん、もともとは一般でも広く焼酎の自家製造が行われていたという。これは他のエリアでも同じかも知れないが、明治政府の国策確立のために、免許制度として徴税の体制を整えた結果である。

元々は粕取焼酎を作っていたが、その後近隣の飲酒嗜好が変化して、粕取焼酎の需要は下降していった。

◇  ◇  ◇

けんじ「粕取からもろみ取りに移行された理由は、どうしてですか?」
社長
「ビールがどんどん伸びて来たでしょうが。日常的に飲む酒が終戦後からどんどん変わってきた。だから若い人が粕取焼酎を飲まなくなってきたんです。古くからの愛飲家も高齢化して、だんだんと亡くなられてしまう。支える方がおらんことなって」
けんじ「その当時の市場というと、どのエリアだったんでしょう?」
社長
「杷木から宝珠山、そして大分県あたりも良かったんですよ。筑後は、それぞれの蔵元さんたちで住み分けておったんですな。お互いの領域は侵さないというか、紳士協定です」

けんじ「焼酎蔵ということで、清酒圏であるこの地ではご苦労があったとか・・・」
社長
「うむ。清酒粕を貰い受けての商売ですから・・・。日本の文化は清酒が主というイメージがありますからね・・・。しかし、私は焼酎蔵に誇りを持っておりますよ」
けんじ「樽貯蔵の焼酎を始めようと思われたのは?」
社長
「先ほど申しあげたように、粕取がダメになってきた。そして、焼酎の需要というのも低かった。そこでじっとしていてはいかんと思ってですな。閃いたのが樽貯蔵です。最初は麦と米で試作してみました。でも、結果的に麦がいちばん合いました」

さて、細かくはご紹介できないが、焼酎というものがどのようなポジションに置かれていたか推察できるお話である。少なからず厳しい道程を歩まねばならなかったという社長のお気持ちを伺うことが出来た。

けんじ「戦争が終わって物資がなかったころは、いかがだったんですか?」
社長
「うん。あの戦争が、ある意味清酒を一旦終わらせたと思います。昭和18年から統制経済に入るし、終戦後は米の統制で原料が手に入らんでしょうが。とにかく雑穀でもなんでも手に入るもんで作るし、アル添や糖添やら何でもやらざるを得なかった。だから、それが今も続いていると思うんですわ。それが自らを壊したんではないかと」
けんじ「当時、社長の所ではいかがでしたか?」
社長
「私も材料が無いんでね。いろいろ雑穀もやったし、添加したりね。しかし、それを続けていたらダメと思って、きっぱりと止めました」

◇  ◇  ◇

さて、詳しい情報については、けんじ隊員がまとめられるレポートをぜひ。

■蔵奧にあった、甕に驚愕の貯蔵酒・・・(@_@;)

じっくりと社長のお話を伺った後は、蔵内部へとご案内いただいた。ひんやりとした空気が漂って蔵らしいムードが漂う。現在仕込みは終わったために、機器は稼働していない。

現在は御子息と一緒に家業に精励されている社長であるが、その息子さんはちょうどその日横浜で開催される横浜焼酎委員会主催の『九州本格焼酎大選集』にご出席のため東上中。日本の東では一大イベントが、西では飲兵衛4人の隠密行動が歴史を塗り替えているというぬぅあんとも記念すべき一日が進行していたのである(自爆)。

そして我々は、まさに刮目すべき事態と遭遇したのだっ!!!!!

『らんびき』が樽の中でスヤスヤと眠っている奧の倉庫に御案内いただいた時である。

好奇心旺盛なけんじ隊員。樽の縁にしみ出た水分を指でなぞって、ペロリと舐めた。わては一瞬、ギョッ(@_@;)としたが、さすがに学究的精神に雲泥の差が歴然である。

その姿勢に社長が心を打たれたのであろうか、「奧にまだ商品化していない甕貯蔵のものがあるんですよ」・・・と。

社長がビニールシートの端をすこしめくる。すると・・・。

一瞬忘我とも言うべき甘美な芳香が室内にドン!と拡散したのだ。

いや、大げさに書いたと思われるだろうが、これは誇張はまったくない。わては撮影のために少し離れた場所に立っていたが、まじにビックラこいた。ぬぅあんと甘く香しいのだっ!色物の香りはどーも苦手なのだが、これは絶対に違う! 全員が驚嘆したのである。

なんていい香りなんだろうねぇ・・・。驚いた。お話では樽貯蔵からさらに甕に移して、もう相当の年月を経ているという。商品化は未だされていない。光量規制の問題があるため、目途が立っていないというのだ。

一口・・・いや、叶わぬなら一滴でもいい・・・飲みたい(T_T)。しかしながら、その願いはお役所の関係で達成することは出来なかった。残念だ、ほんとに!どんな味なのか・・・悔しいじょぉ( ¨)( ‥)( ..)( __)

■“レア・アイテム”『福徳ゑびす』登場で、若大将失笑!

さて蔵見学の後は、試飲の準備をしていただいていた。待ってましたぁ!(*^^*)

ご用意いただいたアイテムは、『らんびき』の樫樽貯蔵の42度・40度・25度・マイルド35度(減圧)、『らんびき麦』、そして廃止になった国鉄線のトンネルで貯蔵された『古久蔵貯蔵酒』の6種類。

さすがに全部いただくと朝から酔いちくれ状態である(^_^;)。そこでそれぞれがバラバラに飲んでみたが、けんじ隊員や若大将は特に『らんびき40度角瓶』に感激していたようだ。「美味しいですよ、これは!(@_@;)」とは、けんじ隊員。

わては、甕貯蔵の『古久蔵』が気に入った。甕貯蔵独得のトロ味というか、まろみがタマランですばい。

さて、当然ながら最後に商品の購入なのである。ここまで試飲させていただいて、けんじ+goida+猛牛の3人がまず声をあげたのが『福徳ゑびす』(爆)。なにも試飲させていただいた商品が気に入らないわけではない。

若大将「探険隊もエラソなこと書くクセに、買うときはレア・アイテムなんだからねぇ〜、つったく、もぉ〜(~Q~;)」
3人「でへへσ(*^^*)

もちろん、けんじ隊員やgoida隊員はそれぞれ『らんびき』も合わせて購入していた。

しかし、わては地元のレギュラー酒である『福徳ゑびす』の存在が気になっていたのである。それはみんなも同じだった。けんじ隊員は買った途端に『福徳ゑびす』の栓を開けて飲み始めた。彼はいつもそうである。わてもご相伴にあずかる。・・・美味い! まろやかで練れた味。買って正解だった。けんじ隊員とわて、(*^)(^*)でニンマリ。

■地元における焼酎の飲まれ方とは・・・。

ところで話は前後するが、社長から地元におけるかつての焼酎の飲まれ方を伺った。地元では農作業を共同でした後の宴会に振舞酒として使われていたという。きつい労働の後には欠かせない“禊ぎ払え”の酒であったのだろう。

作業そのものに多くの人手が必要であった労働集約型産業である農業では、古くから共同体の内部で力を合わせて相互に作業を負担し合っていた。また家の屋根の葺き替えなども交互に協力して行っていた。

また杷木町では、山間部ということで林業が盛んであったため、林業従事者にも多く飲まれていたということだ。

社長「林業の仕事と言ったら、きついでしょうが。今みたいに機械化されてない時分は特にねぇ。だから、疲れを癒すためによく飲まれていたんです。お得意さんでねぇ」

そこでポイントとなるのが、焼酎の“功徳”である「酔い覚め爽やか」である。

社長「結構飲んでも、翌日残らないでしょう? だから作業をする人には良かったんですな。ほんと、皆さん、よー飲んでいただきましたね・・・。でも、林業も寂れてしまってですなぁ・・・。そういう時代もありました」

◇  ◇  ◇

蔵の裏手に回ると、路地の向こうに太い材木が平積みされているのが見えた。かつては、粕取焼酎をあおりながら作業の憂さを晴らしていた、そんな人々がこのあたりを闊歩していたのだろうか。

わては、かつて製鉄の街・北九州で日雇い労働者のおいちゃんたちに甲類焼酎をお酌していた日々を思い出してしまった。その時北九州にはまだ本格焼酎はほとんど出回っていなかったが、毒々しい色のエキスが入った甲類をクッ!と飲み干していた彼らの気持ちが分かるような気がしてきた・・・。


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