福岡県福岡市 採取者 猛牛 2001.02.19

 昔むかし、あるところに、焼酎屋が軒をならべる焼酎村があったそうな。そん中で焼酎屋をしている貧乏な爺さんと婆さんがおった。昔のことやけん、焼酎はそげん今時んごた売れるもんやない。ある年のこと、ボケが始まった爺さんが焼酎をいっぱい造りすぎてしもうた。

 爺さんは困って、「婆さんや。今年は原料が安かったけん、いっぱい造ってしもうた。どうしょうかのお〜?」といいました。すると婆さんはカンカンに怒って、「もぉ〜、あんた、なんばしよっとな?造りすぎたちいうても、村での需要量には限りがあろうもん。そげん余所で拡販できるもんでもなし。そこに空いちょる樫樽があるけん、そん中に入れちょきない!」といいました。

 爺さんはしかたなく婆さんのいうとおり、樫樽にその焼酎を入れて蔵の隅に置いていました。

◇    ◇    ◇

 それから三年たったある日のこと、爺さんは蔵で掃除をしていましたが、とつぜん爺さんを呼ぶ声が聞こえてきました。「爺さんや、爺さんや」。おろ?と爺さんは驚きましたが、蔵には他にだれもいません。「爺さんや、すまんがこの樽から出してくれんかのぉ」。声は樫樽から聞こえてくるではありませんか。

 爺さんは樽の側にいくと「なして樽がしゃべるっちゃろ?」と目を白黒させていました。樽の中の焼酎は「わしは酒の精ばい。別名Spilitsったい。樽の中で三年寝かせて貰うちすまぬな。天使が盗み酒してちょいと量は減っちょろうが、ちょうど頃合いもよかろうて。わしを瓶詰めして市に持っていってくれんかえ?」といいました。

 山向こうの村への営業からもどった婆さんはその話を聞いて、「これは酒の精がわしらに恩返ししてくれるっちゃろ。ありがたいことばい!」と大喜びしました。爺さんと婆さんはいっしょうけんめい樽の中の焼酎を瓶に詰めました。透明な焼酎は三年の間に琥珀色にかわっていました。

 爺さんと婆さんはその焼酎を市に持っていきました。するとどうでしょう、市に来た飲兵衛からは非難ごうごう。「何んな、こりゃ?色物やんか。こりゃ焼酎や無かばい!うぃすきーじゃ! 三年樽で寝かせたろう? あ、そうじゃ!こいつは三年寝かせ太郎じゃ!」と笑われてしまいました。

 それ以来、この焼酎は“三年寝かせ太郎”と呼ばれるようになりました。婆さんはがっくりして「三年寝かせ太郎やて。なにが恩返しかえ?寝てばかりの役立たずめが!」と嘆きました。

◇    ◇    ◇

 ある日のこと、帝都から仕入れに来た商人が村を歩いていると、三年寝かせ太郎が子ども達に囲まれて「色物ぉ!外人の子ぉ!」と踏んだり蹴ったりのイヂメを受けていました。商人は独特のカンが働き、子ども達を諭して三年寝かせ太郎を助けだしました。

 三年寝かせ太郎は「商人さん、ぜひわしを帝都に連れていっちくれんかえ。必ず助けてくれた礼はするばい」といいました。商人は爺さんと婆さんのもとに行き、仕入れの契約を取り交わしました。婆さんは役立たずの三年寝かせ太郎がとにかく売れたのでひと安心。

 帝都に渡った三年寝かせ太郎は、商人から新しくて豪奢なベベを着せて貰いました。上質の麻布でできた十二単の衣、純正こるくの名ふだ、頭には色紙の烏帽子。うぃすきーという南蛮の色付酒が売れていた帝都で、またたくまに三年寝かせ太郎は売れっ子になり、銀座のくらぶでも棚を飾ったのです。

 それからしばらくして、爺さんと婆さんは三年寝かせ太郎が大人気になっていることを風の噂で聞きました。婆さんは「あ〜〜あ、もうちょっと商人に高く売ればよかったばい」と悔しがりました。三年寝かせ太郎は噂が噂を呼び、電脳競り市に出されたりで、飛んでもない値段が付き、たいそう出世していました。

 商人は三年寝かせ太郎のおかげで“焼酎長者”と呼ばれるようになりましたが、爺さんと婆さんにはちっとも実入りがありません。

◇    ◇    ◇

 「婆さんや。じゃ、また樫樽寝かしの長期貯蔵ものを造るかのう?」と爺さんはいいました。婆さんは「ほんと恩返しは、どげんなっちょるっちゃろ。じゃけぇ“ふぉーくろあ”は信用ならんったい!」と吐き捨てるようにいうと、方々から樫樽を集めはじめました。

 しかし、そん頃、めざとい他の焼酎屋は長期貯蔵色物から「かめ壷仕込み」やら「木桶蒸留」やらにシフトして、襷掛け焼酎をどんどん造って市に出していたのです。時すでに遅し。爺さんと婆さんはそれからもずーっと貧乏のままであったそうな。

 もーすもーすこめ麹んだんご。


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