2001.05.14 by 猛牛

ぬぅあんとも押しつけがましいタイトルである。これを聴け?? 『いらん世話ばい(-ー;』という声が聞こえてきそうだが、ま、コラムという性格上タイトリングの“つかみ”というのはとても重要なので御容赦願いたい(自爆)。

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本稿は“この焼酎を飲むなら、BGMはこれがよかばい(^_^)v”という感じで、特定の銘柄を飲むときにバックに流す最適の音楽は何か?ということを、わてがイメージングしたお遊びでありまする。

焼酎も音楽も嗜好品の最たるモノで、個々人の好みの差が明瞭に出てくる。その差が際だつほど評論(よーするに好き勝手なことをほざくこと)としてのオモロサがあると思っております。ま、自分の好みを大道で披露することは、てめぇの恥部を晒すようなもんでがすがね(#^0^#)。

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というわけで、わての場合の組み合わせに対する評価基準なのらが、たとえば、
「モーツアルトを聴きながら、『百年の孤独』を氷河の氷でロックで飲む」
などと言うのは、わてにとっては“梅”なんである。

なぜなら、モーツアルトを聴かせて美味くなるのは焼酎そのもので充分であって、人間様ではこの組み合わせにさもありなんという感じのSHOW市民的な収まり具合が臭って、わてはぬぅあんとも背中にかゆみを覚えるのである。

そうは言ってもモーツアルト自体が悪いわけでなく、続いて
「モーツアルトを聴きながら、梅干しを押し込んでグジュグジュにした『百年の孤独』を氷河の氷でロックで飲む」なら“竹”
「“浪花のモーツアルト”を聴きながら、『百年の孤独』を氷河の氷でロックで飲む」なら、これはもう“松!”
と、わての場合の評価は上記の如く相成る。

傾向は把握していただけたであろうか( ̄▽ ̄;。で、実際にテイスティング&リスニングしてみると・・・。


『兼八』 b/w 「Packing Up」
クララ・ウォード&ザ・ウォード・シンガーズ(1956)

それまで麦を飲んでいたが、芋にハマって以後はまったく麦を省みなくなっていた。しかし絶望の果てに神の啓示を見たのが、この『兼八』。まさに宗教的体験と言っていい味で、これを飲むならBGMはやはり精神を天の高みに押し上げてくれるゴスペルが最良なんである。
というわけで、マヘリア・ジャクソンと並ぶ1940〜1950年代のゴスペル界の大スターだったクララ・ウォード率いるザ・ウォード・シンガーズの1956年の作品「Packing Up」で陶酔に浸りたい。リードを取るマリオン・ウィリアムズの「ホォーーー!!!」というハイトーンなシャウトと『兼八』効果で、魂がぶっ飛ぶこと請け合いです。
『百年の孤独』 b/w 「地球の上に朝が来る」
ミルク・ブラザーズ(1940)

わてにとっては「ウィスキーかいな?(-ー;」という感じの『百年の孤独』なのだが、
その非土着的ポジションの味わいには、同じ和洋折衷ながらも独自の個性を日本の大衆芸能史に発散した川田義雄(元あきれたぼういず)の名作「地球の上に朝が来る」を聴きながらバランスを取りたいものである。
異文化との接触・軋轢・創造という同じプロセスを経ながらも、虎造節を消化吸収した“川田節”を看板に日本の大衆芸と洋楽の上質のブレンドを見せてくれた川田義雄。彼の芸と『百年の孤独』 の差について思いを馳せるのも一興かも知れない。
『桜島』 b/w 「Lonely Woman」
オーネット・コールマン(1959)

芋らしさぷんぷんの骨太で厚みのある美味さがたまらん“一般焼酎”である『桜島』には、1950年代末にジャズの刷新をもたらしたオーネット・コールマンの名盤『The Shape Of Jazz To Come』から、名曲「Lonely Woman」を流しておきたい。
オーネットのアルトサックスの響きを「まるでライトニン・ホプキンスみたいだ」と評した言葉があって。商業化・漂白化したモダン・ジャズに対して本家アフロ・アメリンカンからの再生としてオーネットが放った革新の響き、その根底にはブルースという民族的感性が底流に息づいていることを見事に言い当てていると感じた。
朗々とさえずるオーネットのプラスティク・アルトに、『桜島』はとても似合うんである。
『黒伊佐錦』b/w「Flying Home」
ライオネル・ハンプトン オーケストラ(1942)

一般焼酎として価格も安くポピュラリティの高い『黒伊佐錦』。しかし、黒麹造りという原点回帰の端緒となった作品として、周辺に与えた影響は大きい。個人的に日常酒として愛飲している(普段からそげん高い酒ばかり飲めぬのだ(^_^;))が、BGMにはライオネル・ハンプトンの「Flying Home」と参りたい。
この曲は1940年代に、“黒人国歌”として広くアフロ・アメリカン大衆に愛されたジャンプの大名作。漂白化したスィング・ジャズに対しての原点回帰と革新を、R&B的な次代のスタイルで示唆した先駆的作品だが、妙に『黒伊佐錦』とダブルのである。「Flying Home」はアポロ劇場の聴衆を狂喜させたが、『黒伊佐錦』は晩酌中の貧窮牛を値頃感ある味で驚喜させてくれる。
『風に吹かれて』 b/w 『悪名』
三音家浅丸(1974)

コクのある奥深い味わいが素晴らしい『風に吹かれて』。南の島で育まれた美酒には、新しい要素をどん欲に吸収して今も進化し続ける“民謡”=河内音頭をBGMにして酔いちくれてみたい。
口演するは三音家浅丸。鉄砲光三郎、京山幸枝若といった先輩巨匠連と同じくらいに素晴らしい音頭取りで、中でも『悪名』は名唱・名演である。映画では勝新が演じた八尾の朝吉の気っぷのよさや男気を、見事に音頭の世界で歌い語りきっている。浅丸の音頭の深み、味わいがなんとも『風に吹かれて』にオーバーラップしてしまうのら。河内音頭はエレキギターやレゲエビートなどを吸収しながらも、大衆生活に根ざした“民謡”でありつづけている。そんな生命力を感じさせるカップリング。
『魔王』 b/w 「Kick Out The Jams」
MC5(1968)

プレミアム焼酎御三家のうち“手頃な価格”で人気の『魔王』だが、味については以前合評会に登場したので省略。やはりBGMにはどん!とクセのある音楽で攻めたい。
というわけで、過激な演奏と言動のため60年代後半のアメリカで物議を醸したデトロイト出身の5人組MC5(モーターシティ5)のアグレッシブな名演「Kick Out The Jams」をかけながら、「ガガガガガ、ガッ!」と狂騒的ノリで味わいたい。MC5のアルバムは1970年代に入ってイギリスで再発されパンク・ロックの発生に多大な影響を与えたが、激情あふれるノイズすれすれの爆裂的演奏はあっさり派の焼酎を味わうにはもってこいのスパイスと言えよう。
『いいちこ』 b/w 「Final Solution」
ペル・ユブ(1976)

いまさら説明の必要もない『いいちこ』。本格焼酎の市場を全国的に拡大したイメージ戦略の妙はいまや伝説であり、石高もずば抜けた量で、さすがリーディング・カンパニーだと感心させられる。そんな『いいちこ』にはペル・ユブの「Final Solution」を。
1970年代末から80年代初頭のニュー・ウェーブ、オルタナティブ期、日本でも一気に名を上げたペル・ユブ。当時はインダストリアル・サウンドなんて呼ばれたもんやが、その一聴無機的でノイジーな感覚が“産業”という荒涼感あるキーワードで捉えられたのだろう。「Final Solution」は彼らの初期の名曲で、特にシンセの工場騒音的エフェクトが気持ちよい。しかし、わてには逆説的にこれほど人間味が溢れている音はないのだにゃ〜。焼酎と音楽における“インダストリアリズム”について想いを巡らすには絶好の組み合わせ。
『森伊蔵』 b/w 「アホの坂田」
作曲:キダ・タロー、歌:コメディNO.1(1972)

芋らしくない極めて上品な飲み口だが、逆に引っかかりのない味とも言えるプレミアム焼酎の王様『森伊蔵』。あっさり派の焼酎にはこってりしたBGMで、飲用シーンにメリハリをつけたいところである。
というわけで、選んだのは同じモーツアルトでも“浪花のモーツアルト”キダ・タロー先生の名作「アホの坂田」。荘厳なるオーケストレーションとコーラスに続いて飛び出す前田五郎と坂田利夫のまさに“こてこて”のやりとりが素晴らしい、日本オリジナルソング史上の傑作である。自らの意図と離れたところで、ある種社会現象を巻き起こした点は両者に共通してるポイントだが、味わいは正反対という好取組。
『伊佐美』 b/w 「The Sky Is Crying」
エルモア・ジェイムズ(1960)

昨年の初め頃に4000円の大枚を払って買った『伊佐美』は美味かった(その時はまだ“プレミアム焼酎”なるものに対しての認識は薄かった)。一升瓶の蓋を取った途端ブワァ〜〜〜〜〜〜〜〜ン!と来た芋の香とその味に、正直「ええ香りや!美味い!」と思った。今年ある機会に再度飲ませていただいたが、一去年産の妙味は無かった。香りも味も薄まったと感じたのだが、年毎に味わいに差が出るのは本格焼酎という商品性格上、仕方ないとは思う。
さて、味わいにしろラベルにしろ土着性ぷんぷんだった一昨年の『伊佐美』には、やっぱりブルースと行きたい。独特のスライド・ギターと粘っこいボーカルがぬぅあんともDeep Feelin'な世界を醸すエルモア・ジェイムズの名曲「The Sky Is Crying」をBGMに。エルモアの伸びやかでいてキレのあるスライドの音は、美味い本格焼酎そのものであると感じる。
さて、あなたにとっての銘柄とBGMは何でしょうかにゃ?

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