2002.07.11 by 猛牛

■川越酒造場さん事務所で、『焼酎十字軍』に初謁見!

市内から30分ほど走っただろうか。宮崎市の北西に位置する国富町へと入った。しばらく町内を巡るが、なかなか場所が解らない。やっとたどりついた蔵は、看板も何もない、板塀が通りから見えるだけだった。

けんじ「この板塀のところに、以前は小売店があったんですよ。でも火事で焼けて・・・」

川越酒造場さんは、通りからぱっと見そこが蔵だとは解らない感じ。道に迷うわけだ。というわけで、正面左手にある入口から車を滑り込ませる。

川越さんについては、これまで『川越』『赤とんぼの詩』、そしていでさんからご寄贈いただいたPBの『尚龍』を飲んだことがある。わての好みは『尚龍』で、その濃厚な味にぞっこんとなった。

さて、事務所へと向かうと、もうすでに『焼酎十字軍』の諸先輩は到着済み。川越ご夫妻と歓談の最中であった。

左上が川越善博氏、右が奥様の龍子さんである。“老夫婦二人で醸す蔵”というキャッチフレーズ(?)が浸透している川越さんであるが、いやいやまだまだお若いのだ。奥様など、かつて当地では男達をブイブイ言わせていたような、美しさと気品をいまも持っていらっしゃる。
そして、『焼酎十字軍』の諸先輩方。左上画像の左があの『山里の酒』を書かれた前山光則先生。その右が、同書や他の書籍などでも写真を担当された江口 司氏。同氏は写真の個展を開かれるほどの腕前で、民俗学についても造詣が深く論文も発表されているそうだ。

右画像の前列左から、『山里の酒』の原型である新聞記事連載を取り持った某新聞社H氏、前列中央は同書にも実名で登場され“歩く百科事典”と称された東京在住のU氏、そして後列右は、広報関係に携わっていらっしゃるS氏という、総勢5名の軍団である。

ついでに前列右、大きな後ろ頭がけんじさん(爆)

というわけで、まさに“お歴々”の『焼酎十字軍』。その呼び名は98年に出た『FS』という筑前地元誌の焼酎特集号に掲載された前山先生のエッセイ「行け!行け!焼酎十字軍」に由来している。

昨年12月に球磨にて、初めて前山先生とお会いできたときに「九州焼酎探検隊? それって焼酎十字軍と似てるなぁ? イカン、それは。はっはっは!(^0^)」と言われたのを思い出す。とても笑顔が人なつっこく、一緒にいて楽しい方なのだ。

今回、『焼酎十字軍』の川越さん行軍は再訪である。最初は1998年8月。前山先生がまたどうしても川越さんに伺いたくて、今回の宮崎進駐と相成ったとのこと。

■理論家の善博氏。淡々たる説明に滲む蔵の歴史。

名刺交換の後しばらくして、蔵の見学が始まった。

明治以来の歴史を誇る蔵である。建物は古い。もう100年以上経っているというその内部は、一般的な観念からすると“キレイ”ではないだろう。しかし、天上や梁、壁など、そこかしこに蔵付き酵母が住み着いているため、簡単に掃除はできないのである。

わてらの様な好き者には、そこがまたイイのであるが・・・。

わてなど初見参者のために、善博氏が丁寧に醸造過程を説明してくれた。学術用語・専門語を織り交ぜながらのお話は、ひと味違う。けんじさんに聞けば、ご主人は九州大学農学部のご卒業。道理で、“√九大”のわてとはエライ違いだと納得ぅ〜(ローカルネタで済みません(^_^;))

仕込みはもう終わっていたために、蔵の内部はひんやりと静かだった。江口氏やU氏、S氏そしてわてが焚くカメラのストロボが、薄暗い室内を瞬間的に反転させる。

甕貯蔵の場所へと進む。古色漂う甕の間に「暖気樽(だきだる)」が見える。ふと足下の甕を見ると、札が・・・。なんと大正2年と記されていた。説明されている善博氏を見ていると、淡々とした口調にこの蔵の歴史を背負ってきた自信のような、どっしり感を覚えた。

■前山先生の新聞記事と本で救われた、と感謝の川越さん。

国富町の焼酎蔵は数軒あったそうだ。しかし今では川越さんを残すのみとなっている。

けんじ「もう、国富町の焼酎屋さんは、川越さんのところだけですね・・・」
善博氏「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

やはり得も言われぬ念があるのであろう。善博氏は無言だった。川越さんも時代の波に抗し難く、廃業するかどうかの瀬戸際に立たされたらしい。現に蔵周辺、いやすぐ隣りに立つ料飲店の看板にさえ、宮崎の大手蔵数社のロゴマークが踊っていたのである。

善博氏「近くのゴルフ場の経営者さんですが、焼酎は『日向金の露』しか置かないと言うてくれましてね。『日向金の露』以外は焼酎や無い!って。うれしいです、ほんとに」

そういう根強いファンも居たが、やはり地元では少数派だったという。しかしその苦境の渦中に到来したのが、まさに前山先生という「十字軍」だったのである。

けんじ「前山先生が新聞記事で取り上げて、それがさらに本になったでしょ? 『山里の酒』が広く読まれたおかげで全国的に注目されるようになって、商品が売れはじめたんですよ。潰れるか潰れないかって瀬戸際を救ってもらったと、ご夫妻が前山先生にとても感謝されているんです。前山先生が苦境から助け出してくれたと・・・」

その話を証明するかのように、わてが初めて川越さんの焼酎と遭遇したのは、長野のソニック隊員が寄贈してくれた『川越』と『赤とんぼの詩』だった(それにしても寄贈ばっかやなぁ〜(*^^*))。いまも全国に川越ファンが拡がっているのだ。

現在は息子さんが製造に加わって跡取りもでき、しっかりと修行に励んでいらっしゃるとのこと。わてらもほっと胸をなで下ろした次第。

■さて、商品を購入しようとしたが・・・。

蔵を一巡して事務所へと戻る。お土産の購入タイムだ。前山先生はお友達に贈るのだろうか、宅急便の送り状に向かって住所を書き込んでいらっしゃる。

猛牛「すんまっしぇんばってんが、『尚龍』は譲っていただけんですか?」
善博氏「ああ。あれは、もうやっとらんのですよ」
猛牛「あ、そうですたい・・・・」

わてが好きだった『尚龍』はもう製造中止となっていた。ちと残念ではあったが、方向転換。最近はレギュラーブランドにこだわるわては、『日向金の露』を購入。芋焼酎で、その濃い味は芋らしい芋だと前山先生もおっしゃっていた。どんな味だろう? 期待大である!

◇   ◇   ◇

さて、日も傾いてきた。SASANABAさんは鹿児島からの帰還が遅れるそうで、宿へと直行する由連絡が入ってきた。宴会会場と宿泊先は綾町にある自然休養村センター『綾川荘』。宴席には川越ご夫妻も同席されるという。

『焼酎十字軍』は先行して、ワゴン車でご出発。わてらもいざ!と思ったら、けんじさんが龍子さんから呼ばれて、なにか話している。どうしたんだろう?

ま、とにかく。ゆっくりと『日向金の露』を飲んでやるぞぉ〜〜〜!と気迫充実のわてであった\(^0^)/

呑気なもんだ(自爆)


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