20001.02.21 by 猛牛

■伝統と革新、前近代と近代の狭間で・・・。

伝統と革新の相克。それは近代化・一般化が進む中での、前近代性・土着性との衝突と軋轢である、と言い換えてもいいかもしれない。現在、近代化・一般化が進む本格焼酎は、まさにその“相克”のただ中にあると言えるだろう。

そのひとつの証左を、この『小鹿のお湯割りグラス』に見ることができる。

このグラスは鹿児島県肝属郡にある「小鹿酒造協業組合」さんの制作になるものだが、日本の伝統的意匠と西欧の合理的機能が取り入れられた作品で、近代と前近代との過渡期に位置する作品として、極めて注目に値するものである。

梅に鶯、松に鶴、朝吉にモートルの定・・・という日本古来の自然観や美学に忠実な「紅葉に鹿」を採用したモチーフ。逆に言うなら、日本人の精神の底流にある共同的美意識の呪縛の強固さを知ることができる。

しかし色のみで構成・単純化された葉のデザインは、モダンで美しく、そこには伝統から革新への胎動を見いだすこともできよう。

■目盛りに刻まれた、プロテスタンてぃズムの倫理

そして、「5:5」とのみ刻まれた、高潔な目盛のラインと文字。そこには、6:4、7:3という曖昧性は存在しない。紅葉が表す八百万的自然観や人間観とは好対照をなす、プロテスタンてぃズム的厳格さ、自己に求められる戒律性の高さが一挙にその目盛から現出してくるのである。

しかし、なぜこの目盛りにプロテスタンてぃズムを見いだすことができるのか。マックス・バーヴェーの名著『プロテスタンてぃズムの倫理と焼酎資本主義の精神』から、長くなるが引用してみよう。

 蔵元を営む家族の一青年が、みずから農村に赴き、自分の要求に合致する杜氏を選んで、管理を強め、職人的であったかれらを、労働者に育成し、また大々的な機械化・自動化も導入しはじめた。また正反対に職人的要素にこだわり、機械化・自動化を廃して伝統的造りにこだわりはじめた。
 さらに最終の飲兵衛にいたるまでの販路を、全て 自分の手中に収め、各地に出向いて行っては、顧客の需要と願望――すなわち「好みに合う」ように改良した製品を、「薄利多売」または「厚利少売」の原則によって大量かつ少量売り捌く。
 そのような「二極分化的合理化」の結果、激しい競争が開始されて、敗れた者は没落の運命を辿り、気楽な牧歌は影を潜め、厳しい冷徹さがそれに変わった。(中略)
 そこに流れこんだのは、多額の貨幣よりもむしろ、新しい「近代焼酎資本主義の精神」であった。近代焼酎資本主義の発展の原動力が、何処に由来するかといえば、それを可能にさせる貨幣にもまして、なによりもまず、こうした「焼酎資本主義の精神」だったのである。
 そして焼酎生活における新しい精神の貫徹という、この決定的な転換を生ぜしめたのは、経済史上いつどこにでも見られる怖いもの知らずの厚顔なプレミアム投機者たち、あるいは「大焼酎資本家」などではなくて、むしろ厳格な生活の訓練のもとに育てられ、市民的な物の見方と原理原則を身につけて、熟慮と冒険心を兼ねそなえ、熱心にしかも冷静に仕事に精励する人びとであったのだ。

5:5のみという禁欲性に表象された「熱心さ」と「冷静さ」は、焼酎資本主義の原動力を表すが、紅葉が持つ「曖昧さ」「鷹揚さ」との混在・折衷は、近代と前近代との過渡期にある揺れ動く本格焼酎の姿そのものを表していると言えるだろう。


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