2005.07.12 by 猛牛

「○○さん、今日これを持ってきたから」

と義母から言われて、差し出されたものを見たら、それは紙箱に入った一本の焼酎。

今日は、5月に亡くなった義父の四十九日の法要が行われる。そして法要が終わった後、集まった親族に振る舞うお斎の場に酒を出すのだが、義母がわてのために別途その一本を持参してくれたのだった。

箱から中身を取りだす。国分酒造協業組合製『黄麹蔵 原酒37度』。金属の棒で上から栓を押さえつける古い様式の瓶だ。封緘紙に書かれた詰口年月日を見ると「2001.1.11」。懐かしいラベルだ。

◆   ◆   ◆

中身が詰められたその年の夏、カミサンの実家に結婚の挨拶に行く際、酒好きで今は焼酎を飲んでいるという義父のために一瓶ぶら下げて行こうと思った。お酒が好きなら原酒で高度数が気に入ってくれるかもしれないと、手に取ったもの。

わては後で詳しく知ったのだが、義父はその時点ですでに糖尿病と高血圧症、肝臓疾患など慢性の生活習慣病で身体を蝕まれていた。医者から御法度だと言い渡されていたにも拘わらず、生来の酒好き、晩酌を止めることは最後まで無かった。

義父はふだんの酒は、ペットボトルの麦焼酎をスーパーPBのグレープフルーツジュースで割って飲むという大衆的なスタイル。一日一合は欠かさない年季の入ったドリンカーだった。

が、カミサンの家族で飲むのは義父だけ。一家の中で他に飲む相手が居ないことは飲兵衛にとってはちと辛い。義父も寂しそうではあった。それでわてがお相手をと願っていたのだが、病状への配慮からカミサンから酒の相手はダメだと念を押され続けていた。酒を手みやげにしたのも、この『黄麹蔵 原酒37度』が最初で最後。

面白いことに、飲兵衛だった義父はなぜかこの一瓶に手を付けなかった。箪笥の飾り棚で洋酒たちといっしょに並び、一日一日と時を重ねていただけだった。飾られた『黄麹蔵 原酒37度』が熟成を続けていた日々はまた、義父の病状がさらに進行していた一刻一刻でもあった。

今年3月に心臓の大手術を行って体調が上向きだった義父に、カミサンの表情も明るかった。ところが5月、別の原因であっけなくこの世を去ってしまったのだった。

◆   ◆   ◆

「4年物の瓶熟か・・・」
とお斎の席でラベルを撫でてみる。中身がどんな古酒に仕上がっているのか。

封緘紙を取り、金具を押し上げて栓を開ける。途端に、芳香がブワーッと広がってきた。豊かな香りが鼻孔にグワワワワッと押し寄せる。芋の年季物は往々にして香りと味が抜けていることがあるので、芋は出来立てに近い程良いというのがわての感想。しかし、これは違っている。匂いがすごく立っている。

生で舐める。ん〜〜〜〜ん、うんまい。刺激がまったくなく、まろみが心地よい。伊達に4年も飾り棚で眠っていたわけではなかった。ロック、お湯と飲み分けてみるが、高度数ということもあって生がベストだと思った。黄麹を使ったことも影響しているのだろうか不分明だが、腰が砕けていない。

結局、お斎の最中に半分飲んでしまった。

この焼酎を義父と利き酒することが叶わなかったのは残念だが、わてが飲んだ残りの半分はまた実家の飾り棚に戻っている。ひょっとしら、義父は“天使の分け前”を楽しんでいるかもしれない。


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