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2001.06.27 開講 | ||||||
本学の笑学部、焼酎産業学科の教授であります、杜 伊蔵でございます。本日もよろしくお願いいたします。
さて、今日は公怪講座としまして、酎世に主に九州で盛んに布教活動を展開した、本格焼酎仏を本尊に仰ぐ『醸土飲宗』の誕生と、その原因となった当時の地域的飲用風土の差異との関連についてお話したいと存じます。 ◇ ◇ ◇ まずご紹介しますのは、醸土飲宗の開祖・飲濫上人の言葉が記された『嘆飲異抄』からの有名なあの一節であります。 『嘆飲異抄』とは、文字通り「飲み方の異なることを嘆く書物」という意味でありまして、飲濫上人の意図に反して板東の地で焼酎飲用の異なった修行法が行わていることを嘆き、正しい伝統に立ち返り真の飲み方に戻ってもらいたいという願いを込めて、上人の弟子が書き残したものであります。 『九州人なほもつて焼酎往生をとぐ、いはんや東人(あずまびと)をや』 (教室:ざわざわざわ・・・(-ー;) どこかで聞いたことのあるような言葉ですが。さて、この言葉の意味であります。「九州人ですら焼酎往生をとげるのです。まして東人はなおさらのことだ」と解釈されております。 なぜこの有名な言葉が生まれたのか、きっかけとなった出来事をお話ししたいと存じます。 ◇ ◇ ◇ 平聖十三年の初夏のことだと言われておりますが、飲濫上人が筑前での遊行の折に、大名という町のとある居酒屋に寄ったそうであります。上人は、カウンターを前に結跏趺坐すると、黒千代香に入った芋般若湯『霧島』を猪口でちびちび飲みはじめました。それは前日に割り水して寝かせたものを温めて出されていたのであります。 隣りには先客として喉紐を締めました武士が二人、座っていたそうです。 ふと上人がその武士達を見やりますと、同じく黒千代香でお湯割りを飲んでいる。しかしながら手に持っているのは猪口ではなく、透明で大振りな硝子杯で飲んでいる。しかもなんとその中には“紫蘇の葉”が入っていたそうであります。 (教室:おぉぉぉぉぉ・・・(@_@;)) 「ぬぅあんと懈怠なことよの・・・。割り水して一日経った芋般若湯を斯様にして飲むとは・・・」と、いったん上人はそう思ったと言います。 しかしながら、上人はその飲用の様をさらに子細に窺って、二人は板東武士だと見て取ったのでしょう。板東の風は、お湯割りに梅干しで、割り箸で細かに破砕していただく。しかし、筑前では焼酎用に梅干しを常備している店はない。 筑前では、そのような荒夷的飲用法はまさに堕地獄への道、焼酎天国往生どころの話ではありません。しかしながら上人は説教を施すどころか、紫蘇の葉を入れて飲む二人の板東武士の姿に、逆に悟りを見いだしたのであります。 ◇ ◇ ◇ つまり、先の法語に込められた上人の思想を平易に言いますと、こうなります・・・、 九州人ですら焼酎往生をとげる。まして東人はなおさらのことである。 ところが世間では、梅干しを入れる東人ですら焼酎往生するのだから、まして自分の力で黒千代香に凝ったり割り水にこだわったりと飲行功徳を積んで焼酎往生しようと思っている九州人ならなおさらだ、と言う。この考え方は、一応もっともに見えるが、本格焼酎仏の本願他飲のお心には背いている。 清宗、麦宗、甲類焼宗、初助宗、輪淫宗、武乱出宗という東都六宗の酒類煩悩に身を苛まれる東人は、どんな修行によっても、自己の存在意義の迷いから離れることができないのである。 そのような東人を憐れんで、助けようと発願されたのが本格焼酎仏であるから、本格焼酎仏様にお任せするのが醸土往生の正しい道であって、やたら自力の善をあてにする九州人よりも、梅干しに頼み、茶話阿に浸りきっている東人こそがご本願の目当ての人になるのだ。 つまり本格焼酎仏様にとっては、東人は煩悩を極めているが故に逆に救いの道は大きい。それゆえ、九州人ですら焼酎往生をとげるのであるなら、まして東人はなおさらのことである。 ・・・と要約できましょう。 『九州人なほもつて焼酎往生をとぐ、いはんや東人をや』という言葉は、まさに本格焼酎仏の慈悲の精神を見事に表したエッセンス、精髄だと言えるのであります。 ◇ ◇ ◇ さて、なぜ酎世の日本において飲濫上人のような新たな酎教家、そして醸土飲宗が大衆に熱狂的に迎えられたのか。その時代背景についてすこしく述べたいと存じます。 酎世前後の都では、「一所懸命」という言葉に代表される土地に対する執着と投機的経済活動が異常に盛り上がりました。その経済活動により、沢山の土地分限者を生みだし、空前絶後と言うべき泡沫経済の発展を見るに至ったのであります。 また当時は先に述べました東都六宗が、宮人や中流自意識庶民の篤い信仰を集めていたのであります。土地分限者が郷・村という地方レベルまで広がって、東都六宗への寄進額も鰻登りとなり、宗門の隆盛を誇ったのでありました。 しかしながら、泡沫経済の終焉と共に宮人や中流自意識庶民の経済的・倫理的価値観も崩壊致しまして、まさに酎世本番。先行きの読めない未知数の状況下に置かれた中流自意識庶民にとって、既成酒教では救済されない、心理的・経済的救いがない環境だったと言えましょう。 そこに、中流自意識庶民大衆が新たな酒教を希求する時代背景があったと言えるので、あります。・・・・おっほん。 というわけで、なにかご質問があれば、承りますが・・・ ・・・はい、前から5列目の方。 (受講者:センセ。センセはどの宗派の檀家でらっしゃいますか?) 夏場は暑いので、麦宗に帰依しております。 (教室:おぃおぃ・・・(-ー;)
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