2001.08.28 by 宮武牛骨

日本近代を代表する“反骨のジャーナリスト”=宮武外骨。彼は、時の政府に対して滑稽と諧謔の限りを尽くして論調を展開した、気骨の言論人である。彼が心血を注いだことのひとつに、明治・大正期の新聞や雑誌の収集がある。

関東大震災によって新聞・雑誌類が焼失したことを嘆いた外骨だが、彼の信念に共感した多くの賛同者の力を得て、1927年(昭和2年)、東京帝大法学部内に『明治新聞雑誌文庫』の創設を見る。その文庫は、いまや日本近・現代の社会や風俗、世相を研究する上で一級の資料となったのである。

しかしながら、外骨が新聞や雑誌の収集をはじめたとき、多くの人は「そんなゴミを集めてどうするのだ?」と訝ったという。読み捨てた新聞・雑誌が後世において貴重なデータとして生きてくるなど、当時では想像もできなかったに違いない。

大量複製化文化の極致とも言うべき古新聞・古雑誌も、年月と共に価値の光を放ちはじめた。そして、それは“販促お湯割りコップ”においても同様なのだと思ふ。


という格調高い口上に続いてご紹介するのは、過日薩摩の協力者の方より御寄贈いただいた販促お湯割りコップ3点である。まずは、筑前でも酒販店店頭での店頭化が行き渡った『島美人』の、販促お湯割りコップ
協力者の方の手紙には「しま美人は多々あります。これは希少価値からいえば低いですが」とのこと。

しかしながら、ネーム入りの販促コップなど値打ちなど無いという“既成概念”が、早晩このコップの価値を高めるのは必至であろう。

とにかく、コップの形状自体はお湯割り販促コップの定番的フォルムでありながらも、「さつま島美人」のロゴや馬鹿丁寧なまでに入れられている企業名などに、大衆焼酎文化の正統的デザインニングを感じる逸品である。

次は、『利右衛門』コップで、これはデザインニングにおいては、一歩先の段階にある作品。5年ほど前のものという。

「甘藷翁」と呼ばれる薩摩の偉人・前田利右衛門をキャラクタライズしたイラストと英文で商品名をあしらった“ハイカラ”なものである。

これはひとつの“商品”と言ってもいい。

地域共同体内での生産と消費という前近代的な段階から、流通商材として広域な市場拡大を狙うという資本主義的な段階への移行を、コップという姿で見せてくれているかのようだ。

さて、最後・3番手の選手は『太古屋久の島』のコップである。

協力者の方の手紙には「なかなか手に入りません。たぶん屋久島あたりでは出回っているとは思いますが・・・」とある。

やや小振りなサイズのグラスに、手書きロゴの商品名。「南海 黒潮」「太古 屋久の島」。

色といい、書体といい、そして形状といい、美しい。美しいんである。

わての撮影技術の未熟さ故に、このグラスの素晴らしさの全貌を伝えられないのは、ぬぅあんとも断腸の思いなのであるが、ご容赦いただきたい。

現状の希少性という観点のみならず、トータルな造形・意匠の美しさに、わては心底、惚れてしまっているのら。

美とは造られるものではなく、観る者が発見する、見いだすもの、ぬぅあんである。

次に、販促お湯割りコップが持つ機能性と芸術性の融合を示すものと常々考えている「目盛」を、それぞれのコップに見てみよう。
3つを並べてみると、それぞれの目盛の配分の違いに、そこはかとなく焼酎の味の個性やそれぞれの銘柄を支持している地域の嗜好が見て取れるようだ。特に「利右衛門コップ」では線のみの表示である点が、デザイニングとして“地域産品から広域商品”への意識の移行を物語っている感がある。

というわけで、今回あえて3品並べてみたのは、数を集積して俯瞰した時に、別の観点が発生すると考えてのことである。単なるコップと思っていたものが、焼酎民俗資料としての貴重な意義を帯びてしまう。“コップも積もれば、資料の山となる”、である。

販促お湯割りコップは、美的芸術的観点からのみならず、20世紀から今世紀へと焼酎生活文化を次代に伝える貴重な器なのだ。大衆的複製文化の産品でありながらも、地域性とそれを背景にした庶民の暮らしの息吹を伝える一級の焼酎民俗資料として、今後光彩を放つことであろうにゃ〜、うんうん・・・と、わては捉えておる。

そう。いまこそ、『販促お湯割りコップ博物館』の建設唱えたい。割れてからでは遅い、捨てられてからではもう間に合わないのであるから・・・.


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