2001.3.27 by 猛牛

焼酎の商品名・ネーミングにおいて人の姓・名が付けられているものが結構あるのだが、これがプレミアム焼酎と呼ばれる希少高付加価値銘柄だとよりその存在が目立つ。このサイトの真の主役とも言うべき『森伊蔵』を筆頭として、『村尾』『佐藤』『なかむら』などなど関東でも著名な銘柄が並ぶ。

この人名焼酎、以前「のネーミング考」で書いた文学系ネーミングとは違い、作為性が薄いところがわての好みなんである。創業者や経営者の名字がドン!とラベルに書かれた、その潔さ。

人名ネーミング(特に経営者名字系)は元来地域性・土着性の高かった本格焼酎の“原点”が大いに影響しているとは思うのだが、一般論として、これはいわゆる焼酎に人格を与える作業、つまり“焼酎の擬人化”ではないかとふと思い至った。

この擬人化がまたぬぅあんとも、商品に憑依するモノガタリの醸成に役立っていると思えるんである。というわけで、今回は「焼酎の擬人化」について考えてみた。

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本格焼酎界最大の“有名人”と言えば『森伊蔵』なのであるが、この命名は本当に素晴らしい。これが創業者かご先祖様の名前なのかどうか、それは寡聞にして知らない。

しかし、“森”という極めて一般的な姓に“伊蔵”という名前がぶら下がると、とたんに焼酎の人格が多彩なイメージと共に膨らんでくるのだ。これは擬人化ネーミングでは最高峰と言える作品である。

現に『森伊蔵』という人格が存在しなかったら、当探検隊のコンテンツの2/3は存在していないもんにゃ〜(自爆)

『村尾』『佐藤』は姓だけで、それも一般的な姓なのだが、姓のみというのが成功している。漢字2文字でどっしりとした風格、存在感を感じさせる。またラベルデザインにおいても筆文字などでインパクトのある意匠が施しやすく、店頭などで商品そのもののアイデンティティも高まる。

ところで面白いのが、甲類界のこれまた著名人『大五郎』やウィスキー界の新人『三四郎』なんである。こちらは姓が無く名前のみ。それも大時代的な名前である。そうなったのは低価格、大容量というこれらの商品が置かれたポジションと、競合のためであろう。同じ大時代的名前である森伊蔵とは、対極に位置する擬人化の例なんである。

店頭に段ボールに入ったまま平積みしているような商品に妙な格調高さはいらないし、親しみやすさや身近さを感じさせる方が大切。これは人間社会でも同様で、姓で呼び合う他人行儀な関係よりも、「大五郎ちゃん」なんて名前で呼び合える関係の方が濃く密な状態にあるし、メーカーもそう思って貰いたいのであろう。

昔、「栄ちゃんと呼んでくれ」と言った総理大臣が居たが、それと気持ちは同じである。しかし誰もそう呼んでくれなかったのは、「永ちゃん」との間に大きな立場の隔たりがあったからだ。(閑話休題)

格調の高さか庶民的親しみやすさか・・・狙うポジションによってその位相は変わるが、本格焼酎の擬人化は、今後プレミアム焼酎化を狙う上で商品開発上のポイントと言えまいか。姓だけ、または姓+名が、本格焼酎の場合ではネーミング上のミソである。

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さて前置きがエラク長くなってしまったが、先日擬人化によるプレミアム焼酎化という狙いのもと、ひとつの実験が行われた。それが、この度茨城のJAZZ翁隊員がプレミアム焼酎界に満を持して発表した大型新人、『渡邊』である。

JAZZ翁隊員はもともと科学者であるため、われわれ飲兵衛がややもすると酔いちくれるだけで見落としていた「プレミアム焼酎発生のメカニズム」に着目。ネーミングおよび意匠がプレミアム化にどう作用しているのかを長年研究されていた。最終的に擬人化という結論に至り、今回この『渡邊』を世に問われたということである。

墨痕鮮やかな旧字体の「邊」が醸す格調高さ、「なべたの父ちゃんの米焼酎」という商品説明に横溢する庶民的親しみやすさ。この一見アンヴィバレントな要素が見事に両立した、極めて秀逸なラベルデザインであり、『村尾』『佐藤』を凌駕するそのクォリティの高さは注目に価する。

中味は米焼酎で、これは福岡県南部のとある蔵元の一般焼酎。桶買いならぬ“瓶買い”しての発表らしいのだが、入手可能なエリアは茨城県のごく一部地域のみと狭く、また流通量も僅かで希少性が極めて高いものとなっている。

ネーミングや意匠だけでなく、流通面においても「入手困難」→「幻」→「垂涎」といったプレミアム焼酎の“パブロフの犬的”条件を満たしている『渡邊』。YAHOOオークション登場の日も近い。


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