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2001.09.03 開講 | |||||||
本学の笑学部、焼酎産業学科の教授であります、杜 伊蔵でございます。本日もよろしくお願いいたします。
さて、今日は公怪講座としまして、最近の焼酎ブームの中で九州を中心に芽生えております『酎華思想』と、その今後の展開について論じてみたいと思います。 ◇ ◇ ◇ まず本日のテーマであります酎華思想とは何か? これは本格焼酎を酒族世界の中央に位置する至高の存在として意識し、他の酒族を卑しめる考え方であります。 学術的に申しますと、otunocentrism。つまり乙類中心主義、自飲族優越思想でありまして、otuとは乙類という酒税法上の分類でありますが、これを酒類の中心として考えるものです。もちろん、本格焼酎愛好人は自らが愛する本格焼酎を「乙類」などと呼んだりはしないことは、論を待ちません。これは、あくまでも外部から見た用語であります。 というわけで、ここで、この酎華思想の世界観について、ご説明したいと思います。では、お手元のレジュメをご覧下さい・・・。 |
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図にあります通り、酎華思想におきましては、九州および沖縄、南西諸島という本格焼酎の飲酒文化圏を「酎國」と称して、酒類世界の中心と考えておりました。
また周辺地域の酒族を、“東異”“西汁”“南叛”“北滴”と卑しめた名称で呼び、決して対等とは認めなかったのであります。 (教室:ん〜〜ん。) 中でも、絶えず海峡を越えて酒販店や料飲店の棚への侵入を繰り返す甲類焼酎族に対しましては、極めて敵愾心を燃やしておりまして、「東方の蛮酎」として忌み嫌っておったのであります。 |
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なお、甲類焼酎族を別名“荒梅干し夷(あら-うめぼし-えびす)”“詐倭族(さわぁぞく)”と呼び慣わしましたのは、梅干しを酒杯の中に入れて潰して飲んだり、炭酸水などで割って飲む風習を持っていた酒族であったことから、由来したものであります。
この酎華思想でありますが、私個人としましては、極めて結構なことと思っておるのであります。なぜなら、これまで「臭い」「オヤヂっぽい」などと隠忍を強いられました本格焼酎族の一員として、天晴れ!と申し上げたいのであります。 ◇ ◇ ◇ 飲族至上主義の最たるものと言うべき酎華思想ではありますが、しかしながら最近の研究では、全国的に急激な酎華思想の伝播のその背景に、『選飲主義』が色濃く漂っているという実態が明かとなってきました。 選飲主義とは、本格焼酎族の中で希少性や高価格を理由に噂が噂を呼び高値で取り引きされる使命を持たされた銘柄を選り好んで飲む、という主義であります。 この意識は昨今、升メディアが本格焼酎族を記事等で取り上げる頻度が高まっている中で、さらに激烈なものとなっておりますが、様々な摩擦・軋轢を自己の内部に生じせしめていると申せましょう。 (教室:ん?) それが何か?ということをお話申し上げたいと思います。 つまり。本格焼酎族が、他の酒族文化との相対的認識を深める中で、自らの酒族文化のアイデンティティの質の高さを「発見」または「再発見」したことは、大切なことであります。 とは申しましても、ブームという風潮の中で、酒族という嗜好品としての、それぞれの対等な関係性を見失ったが故に、本格焼酎という酒族の原点である大衆性を置き忘れるという自己撞着を起こしはじめている・・・。 (教室:ざわざわざわ・・・・) 酎華思想を抱く“各階層”の人々が、妙な選飲主義に陥り、本格焼酎族を高みに持ち上げすぎることで価格が上がる。つまり高付加価値販売化がさらに促進して結果的に自らの首を絞めるという事態に立ち至っている、のではないかと。 酎華思想鼓舞の先兵としての“選飲銘柄”の役割は決して小ならずと認むるところではありますが、今後も予想される選飲主義の急激な膨張は、その反動として酎華思想そのものの急激な収縮を招来するのではないか、と老婆心ながら心を痛めておるところであります。 ◇ ◇ ◇ さて本日は、酎華思想という考え方と今後の展開についてお話申し上げました。今日受講された皆様も、ぜひ“正しい酎華思想”を理解いただき、飲族間の相互理解と酒界平和、価格正常化のために意識を高めていただきたいと願っております。 というわけで、なにかご質問があれば、承りますが・・・ ・・・はい、前から4列目の方。 (受講者:センセ。センセは“正しい酎華思想”の啓蒙普及のためにどんなこと、されてますか?) 『森伊蔵』をオークションに出して、活動費を造ろうかと・・・。 (教室:おぃおぃ・・・(-ー;)
※これはフィクションであり、実在する個人・団体・商品とは一切関係なく、また誹謗中傷をするものではありません。 |
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