by 猛牛

■労働者の酒・・・というイメージが強かったかつての「焼酎」。

今となってみれば、それが甲類焼酎だったのだが・・・。

わての故郷は福岡県北九州市。ずっと以前は学校で四大工業地帯のひとつとして教えられていた、製鉄を中心とした重工業の町だった。“七色の煙”と謳われた繁栄も過ぎて、煙突そのものが消え始めていた1976年頃、高校生だったわてがアルバイトに行ったのが同市八幡区は春の町にあった酒屋。

そこで初めて無色透明の液体を見た。甲類の寶焼酎やダイヤ焼酎である。

わてはその酒屋の立ち飲みコーナーで、一升瓶から日本酒や焼酎をコップにつぎながら、四角い灯油缶のなかから豆腐をすくって鯖節と醤油をぶっかけて出したり、味噌で煮込まれた豚足を客の注文に応えて差し出すホストをやっていた(苦笑)。

その店の上客とは、製鉄所や関連の企業の“飯場”に通う労働者たちである。

おいちゃん達は、一日のドカチン代数千円(わてが大学の頃に一日7000円くらいだった)。その中から労働下宿の宿賃や飯代をさっ引かれた残りわずかな日銭で酒を飲みに来ていた。だから酒の、焼酎の一滴もあたらおろそかにはできない。

酒を注ぐわては、「もうちょっと擦り切りいっぱい、注がんか!」という声におののきながらも、妙な愛着でおいちゃん達を観察していたのだった。

そういう町に育ったわては、特に甲類焼酎については“労働者の酒”というイメージが強く、なかなかそれが払拭できなかった。そのイメージが消えたのは、わて自身が“労働者”となったときである(自爆)。


■今も昔も甲類は割って飲む、というスタイルの独断的見解。

当時、サワーなどという“小綺麗な飲み方”は北九州には、少なくとその酒屋には存在していなかった。おいちゃん達の流儀は、梅やグレープなどの色と香りが付いたエキスで割って飲む、というスタイル。

180mlくらい入りそうな小振りのグラスに甲類焼酎を八分目ほど注ぎ、残りは人工着色料てんこ盛りの毒々しいエキスを加える。

当然であろう。甲類はほとんど無味無臭なのだから、なにかで割らないと“味わう”という感覚にはなれない。「梅割」や「グレープ割」をちびちびやりながら冷や奴をつまむおいちゃん達の気持ちが、いま本当に実感できる。

チューハイとしてオーバーグラウンドに飲まれる様になって、広範な市民権を得た甲類だが、元をただせば「梅割」。需要層や摂取するスタイルが時代とともに表面的に変化を見せても、根本は同じ。割って飲まなければ飲めた代物ではない、ということである。

これは某有名洋酒メーカーがウィスキーの“水割り”なるものを創造したことと似ている。ウィスキーは生かロックで飲むことが王道であったかつて、そのメーカーは水割りという飲み方を提案して見事成功した。さて、なぜ水割りか?

生で飲むとまずいウィスキーだったからで、それをごまかすためだったのだ。


■水で割っても旨さが薄まらない、乙類焼酎。

と、一方的に甲類への雑言を書き殴ったが、わて自身も「飲めればよろし。酔えればよろし」という無節操な酒飲みではある。しかし同じ飲むなら、すこしでも美味い方がいいというだけ。

ここで乙類焼酎を持ち上げるのは故無き話ではない。

乙類焼酎は水やお湯で割ったとしても、清酒やウィスキーの様にその馥郁たる香りや旨味が損なわれないのだ。香りと味を形成する微量成分が希釈を感じさせることなく、舌と喉を楽しませてくれる。

わては、通常焼酎6:お湯4のお湯割りを、焼酎4:お湯6で飲むのが好きだけど、香りも味わいもしっかりと堪能できている。

「また体の調子に合わせて、6:4でも4:6でも、一気に2:8でも芳香と味わいが楽しめるのが乙類焼酎のいいところだね。酒量をコントロールできて、かつ美味いということ」

これは関東に住んでいる日本酒・ビール党だったわてのネット友が、乙類焼酎党に一気に鞍替えした時にメールで語っていた話だ。


さて、酒屋の甲類に始まったわての焼酎風景は、いまは雄大な乙類のパノラマが広がっている。


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