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■或る“お高級飲んべえ”との対話。
「『黒伊○○』? 近くの店で売っているよ(-.-)y-゜゜゜」 3年ほど前の話なのだが、トーキョご在住+極めて社会的ステータスの高い職業に就いていらっしゃる+やたら酒にお詳しい某飲んべえと、チャットで話していたときに言われた言葉なんである。わての「焼酎だったら、やっぱり『黒伊○○』が旨くて好きですにゃ〜〜」というログへのレスなのだ。 「ん? あれはちょっとコクがありすぎてねぇ、口に合わないなぁ〜(^_^;)」 なら、わかるんである。味の好みは十人十色、旨い焼酎は100人いれば100本あるというのは至極とぉーーーーぜんのこと、なのだ。ところが、彼の場合は“近くの店に売っている、いない”というのが焼酎の評価基準になっているところが、オモロイ、のである。 その時、ふと疑問が生じたのだ、・・・・彼はいったい“何”を飲んでいるのだろう?
■希少性と、情報量と、経済力と・・・。 その“何”とはなんだろぉ? わてが考え得るに、これである。 1)酒店・量販店で定番化された商品とは対極にある、希少性の尊重。 2)希少性の高い焼酎を認知しているという、情報量による他者との差別化。 3)希少性の高い焼酎を購える、経済力の誇示。 と、カタイ言葉で書いてみたが、よーするに、 「その辺で売っとぉ焼酎なんか飲めんばい。俺はこがん焼酎を知っとーと。しかもそれを買えるとばい!うらやましかろうもん。イヒヒヒヒ(-.-)y-゜゜゜」 これを、経済的貧窮度の高い猛牛がひがんで解釈している・・・などと思ってはイカンのである(苦笑)。 ■1)について。 その辺の店では手に入らない、だからありがたいもの・・・だという心理は理解できぬ訳ではないが、それが“旨い”ということと同義でない、のは賢明なる読者の皆様にはご理解いただけるであろう。(ん〜〜ん、ぬぅあんてイヤな書き方^^;) ■2)について。 稀覯焼酎についての該博な知識は、さりげなく、しかも芋焼酎のほのかな甘みの如く“ほわぁ〜〜〜ん”と語るべきであって、肩書きを大上段に振りかざして語ると、これはドラマにはならない。 くたびれた旅の老商人が我慢の末に、実は天下の副将軍と名乗りをあげて正体を明かしてこそカタルシスと美学が生じるのであって、のっけから“ご老公様じゃ!”と胸をいからせて練り歩いては、美学もクソもないのである。それは“偽物”なのだ。(なんの話やねん) つまり彼は「俺が天下の副将軍だ!」と練り歩きたかったのだろうね。 ■3)について。 ブッキッシュな情報量を持っていても、実際に稀覯焼酎を飲むのは経済的に至難な技である。ウン万円というプレミアムがつく焼酎も結構あるのだ。彼の場合、「あたしゃ買えますよ、だからその辺の店に置いている焼酎なんて飲めませんよ」という経済力の隠然たる誇示に帰結しているのがミソ、である。 なおこの話は、たとえば地元にいて地元の焼酎(よそでは珍しい)を飲まれる方、またはなけなしの小遣いをはたいて一度は飲みたかった焼酎を手に入れたという“我が同朋”(爆)には、当てはまらないので誤解なきよう^^;
■陥りやすい罠。 さて、冒頭の『黒伊○○』だが、鹿児島県産の芋焼酎で、福岡市内でもスーパーの店頭で見かけることができるし、関東圏でも定番化している店はある。 量販店などで定番化されているからといって、それは珍しい焼酎ではないかもしれないが、けっして「不味い」焼酎とは即断できないのである。・・・もちろん不味い焼酎が多いのは確かではあるが^^;。 たとえそれが『○い○こ』であっても、「近くの店で売っているから」という理由で評価してはならない。生産、流通、価格などの入手困難の度合いが評価の基準として上位に挙げらるとしたら、それは本末転倒というものだろう。 近くの店に売っていて、身近に手にできて、しかも安く買って味わえることこそ、ありがたい話なのだし、それが焼酎の本当の姿である、とわては思っている。 彼の言葉は、決して彼だけのものではなく、わても含めてすべての焼酎ファンが陥るやもしれぬ罠として、他山の石とすべきであろう。(大げさやね、ホント) というわけで・・・ 「近くの店に売っていて、どこが悪い!(-"-)」 |
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