2000.6.21 by 猛牛

■或る立ち飲み屋にて・・・。

「ええ?焼酎たのむのぉ?おぢんみたいぃぃぃ〜(>_<)」
(フェイスマークは筆者が状況を再現するため加えた)

昨日の話なのだが、わてがよく一杯引っかけに行く立ち飲み屋「百圓酒家」なる店で飲んでいたら、耳に飛び込んできた会話である。わての横にやってきた若いカップル、その彼氏の方が生ビールの次に焼酎を飲むと言ったことへ、彼女が返した言葉なのだ。

ちなみにその「百圓酒家」とは、立ち飲み屋とはいえ和風の小綺麗な構えで、栄養士の資格を持つ女将さんがつくる料理がなかなかのお味。肴は一品100円からで、酒も焼酎なら1杯100円である。客層は、わてのような貧窮度の高いサラリーマンから若いOLのグループ、学生、高齢者、家族連れなどなど、幅広いのだ。

当日来ていた相当にレベルの高いマスクとボデ〜を有しておったOL衆なんぞに全くわき目もふらず、わてはいも焼酎のW(200円)をストイックにかっかっかとあおっていた。しかし、わてと同じテーブルに陣取ったそのカップルの会話に、思わず探検隊の血が煮えたぎったのである(-"-)。

隣でいも焼酎をぐいぐい飲みまくっているわての立場はどーなる。
「きさん!(貴様)、焼酎がなんばおじんの酒か? おちょくっとーとーか!(からかってるのか)」
と、口から出かかったのであるが、てめえの面を思いだして、その言葉をいも焼酎とともに飲み込んだのであった(T_T)。

たぶんその二人は、立ち飲み屋の近くにある芸術関係大学の同級生なのであろう。彼女の「おぢんみたい」という言葉に彼氏は苦笑いしながら、いも焼酎を頼みに行っていた。

彼氏の見上げた根性を賞賛すると共に、焼酎がはらむイメージの問題を想わずには居られなかったのだ。


■某洋酒メーカーの「辛口麦焼酎」なるもの。

同じく昨日の話。わてが出入りするチャットを覗いてみたら、関東在住の仲間のカキコがあった。惨鳥という名の某メーカーが新しく発売する“辛口麦焼酎”のモニターに応募しようとしたが、関西以西に居住する人しか応募できないため、自分はできなくて悔しいという内容である。

わてがさっそくそのサイトに飛んで応募したのは言うまでもなかろう。“辛口麦焼酎”なるものを探検隊の合評会に供したいという探求心である。わてがタダ酒に目がないというセコさが決して理由ではないのだ、誤解無きよう。

さて、そのサイトで商品説明を見て驚いた。

なんと、焼酎そのものの中身よりも、パッケージや能書きに凝っているのだ。「その男、辛口麦焼酎」とのっけからコピーが入って、ひとクラス上のこだわりを持った男がじっくりと我を見つめながら飲む辛口焼酎・・・ってな、わてとは正反対のイメージづくりで、ボトルのデザインやラベルの文句に細心の注意を払っていた。

確かにイメージ戦略に長けた某惨鳥のやりそうなことである。

肝心の中身は「飲みごたえのある数種の焼酎原酒」「これらの原酒を絶妙に織りあわせた、“ぶれんどの妙”」という言葉に表される、OEM(相手先ブランド)による他社の原酒を混ぜたもののようだ。

うがった見方をすれば“辛口”なる表現を、大量生産のために寝かせる期間がなく、角が取れないまろみのない味をそう言いくるめた、と決めつけることも可能であろう。・・・まぁ、飲んでみて、それを美味と感じれば、文句はない。

ここで重要なのは、パッケージ・デザインに全力をかけていること。“「こだわり」を感じさせる高級感のあるボトル”云々と、中身の説明とは比較にならない数倍の文言を駆使してあの手この手で書きまくっている。

これまでの焼酎のイメージが、某惨鳥がターゲットとするひとクラス上の男達の世界とは正反対のものであることは確かだ。そのイメージを克服し市場を広げるために、まずぱっと見の印象を高める戦略・・・、それが焼酎の裾野を少しでも拡大してくれるとしたらうれしい話ではあるが。 


■“転んで”欲しくない、九州の焼酎。

さて、先のカップル。彼女が飲んでいたのは、ストロベリー・サワーだった。中身は言うまでもなく甲類焼酎である。馬子にも衣装とは言うが、「焼酎飲むって、おぢんみたい」と彼氏を笑っていた彼女が飲んでいたのが、可愛いイチゴ模様に身をくるんだ“おぢんの酒”だったわけだ。

まさに隠れキリシタンならぬ、“隠れおぢん酒”。

JAZZ翁のレポートにもあるとおり、焼酎=労働者の酒というイメージはいまも抜きがたくある。蔵元としては、焼酎を取り巻く厳しい状況の中で、市場の拡大による経営の安定を第一に踏み絵を踏んで“転ぶ”ことを選択するところも多いだろう。某惨鳥のように、資本力で押しまくる余裕はないから。

ファンシーな着ぐるみに入って身を隠すか、それとも依って立つ基盤である「クセ」を捨ててさらりとした“顔”に整形するのか。転びのやり方は様々・・・。

でも、決して「殉教してください」とは申しません。しかし、ぎりぎりまで転んでいただきたくはない。食や酒の文化の地域差を克服するのは容易ではないが、いつかは本格焼酎が“生まれたままの姿”で広範な市民権を得ると信じて、一ファンである我々も行動しているのだ。

九州の蔵元の皆さんにはぜひ開き直っていただきたい。自信を持っていただきたい。

「おぢんの酒で、どこが悪い!(-"-)」


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