2001.07.18 by 猛牛

さて、昨日夕刻のことであるが、会社の近くにある本屋で、雑誌群にざぁ〜〜〜っと目を通していた。なにぶん貧窮猛牛、「はい、そーでしか」と全部買うわけには参らぬ。よーするに立ち読みしていたのである(^_^;)。

おろ?

なにげなく、あの大全国誌で戦前以来の悠久の歴史を誇る月刊『文藝春秋』の8月号をちらちらと覗いておったら、ぬぅあんと筑前の食と焼酎飲用をネタにしたコラムがあるではないか?!

それは432頁にある「目・耳・口」なるミニコラムで、その冒頭にある「目」のコーナーなのだ。それは全国各地の地域色あふれる食の情報を発信する内容であった。

福島県のそば、北海道のシマエビ、鹿児島の白熊と並んで、ちゅーか冒頭に筑前は博多からの情報として、焼きホルモンと芋焼酎の話が載っているんである。

・・・という内容なのであるが、この筆者、筑前・博多の居住者であることは一読瞭然としても、一体何者なのか気になる。が、とにかく、全国誌でよくぞ書いてくれた、うれしや、もったいなや、ありがたや(泣)と、感涙の猛牛なんである。

なぜか?

本格焼酎もホルモンも、九州または筑前の大衆の日常生活とともにある、まさに土着、ネイティブな周縁食文化であり、かつ、どちらも中心食文化からは賤視の対象となっている飲食物だからなんである。

両者の共通項は敗戦後というターニングポイントだ。物資の供給が途絶えた闇市時代に飲まざるを得なかったのが「カストリ焼酎」、食べ物では「ホルモン」。それらはまさに、それまでビンボー人が飲み喰らう物と思われていた品々である。

嫌々ながら食わざるを得なかったという時代の状況が、中心食文化人の精神に大きなトラウマを形成し、それは集合的有意識として地下底流の如く未だ流れているのだ。

しかし、我々地のもんにとっては、それらの飲食物こそが王道であり、日常である。トーキョーで食べられているなら全国でも食べられているはずぅ・・・などという食文化帝都主義から脱却し、文化は相対的であることを認識することが、相互理解の上で不可欠だと思ふ。

そのことを「田舎もーん」という逆説的挑発が端的に語り切っていると言えよ〜。

ちゅーわけで、

今回のこの「目」コーナー、小さなコラムとはいえ、侮ることは出来ない。“蟻の一穴、猛牛のからっケツ”という言葉もあるのだ。超有名全国誌でのこの記事、小粒ながらも、まさに九州の大衆食文化の復権と相対的認識の確立へ向けた、大いなる狼煙なんである。


「狼煙は文春に揚が」ったのだっ!





(ぬぅあんてね(完))


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