『ああ、晶子様!の酒』第5回
晶子様 TALKS MYSELF vol.4

2004.08.23 by 晶子様命@猛牛 2005.02.24 再掲載


晶子様:蔵に戻るなんて、あまり考えてはいませんでした。

--OLをされていた頃、とても充実していたと伺ってますが?

晶子様:はい。話題が豊富なドクターに囲まれて、非常に有意義な日々を送っていました。

--なるほど。その頃で印象に残ったことをひとつ挙げるとすれば?

晶子様:そうですね。印象というか、勉強になった事のひとつに、医局にいらしていた沢山の製薬会社の営業マンの皆さんのことがあります。営業としての真摯な姿勢から得たものが、今日の私の営業活動の原点となりましたね。
(写真:蔵の前に立たれた晶子様)
--大変伺いづらいことに、失礼ながら触れさせていただきますが。平成7年の2月に御父様の相澤昭一さんが57歳の若さでお亡くなりになられた。それで、蔵に戻られることになられたわけですが。

晶子様:職場が配慮していただいたお陰で、休暇を貰って父の看病に専念しました。術後から、その、終までそばに居ることができました。

--はい。

晶子様
:身内が亡くなった事については、悲しさではなく、哀しさを感じました。でも、それ以上に、蔵の将来への心配と不安で心がいっぱいだったんです。

--はい。

晶子様:すみません。言葉では言い尽くせない事がありすぎて。また軽々しく口にするのも憚れるので、の件につきましてはこのあたりで失礼を

--こちらこそ、申しわけありません。わても昨年春に母が急逝してまして。晶子様のお気持ちお察し致します。すみませんが、あとひとつだけお聞かせ下さい。職場でも充実した日々を送っていらっしゃったということで、蔵に戻られる決心をされるまで、色んな思いが去来したかとお察ししますが。

晶子様:この蔵が、私が生まれ育った場所、故郷です。それに、自分も社会人となり、それなりに世間というものが分かる大人になってましたから、これから蔵がどれほど大変な状況になるのかも理解していました。蔵に戻るのは当たり前、「私のいるべき場所あるべき環境に、私は戻るべきだ」という気持ちになりました。家族で一緒に頑張ろう、そんな決意をいだきました。

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晶子様には語りづらいことを、不躾ながらあえてお伺いしました。ご協力に心より感謝致します。

平成13年。蔵に戻った晶子様は造りの最前線に立つこととなる。次回からは晶子様の蔵での奮闘ぶりを追ってみたい。

(第6回へと続く)


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