『ああ、晶子様!の酒』第3回
晶子様 TALKS MYSELF vol.2

2004.08.19 by 晶子様命@猛牛 2005.02.24 再掲載


--さて。幼稚園の頃の晶子様ですが、どんな御様子でした?

晶子様:体が弱かったせいか、幼稚園時代すでに出席日数ギリギリだったんです。でも、別に“不登園”というわけではありませんよ(苦笑)。

--出席日数が足らない代わりに、どう過ごされていたんでしょう?

晶子様:そんな状態でしたので、私の遊び場は酒蔵でした。蔵の横においてある木桶の中に入ってかくれんぼをしたりとか、ビンの王冠を集めてみたりとか……。そうですね、時には瓶詰作業場に行ってレッテル貼りを手伝ったりしてましたね。

--その頃から“蔵人修行”をされていたような感じですか?(笑)

晶子様:いえ、ただ遊んでいただけですよ。お茶の時間には、パートさん達にまじってお茶をすすったり、梅干しつまんだりする、とってもしぶーい幼稚園児でしたね(笑)。

--小さな目で見られた蔵の印象はどうでしたか、ご両親の御様子とか?

晶子様:特に印象は残っていません。けれども、蔵が忙しかったのでしょう。両親とそろって家族旅行に行くということはありませんでしたね。


--そう言えば、前回のインタビューでおっしゃっていた“後日談”ですが?

晶子様:ずっと後ですけど、短大の幼児教育科に席を置いたんです。それで教育実習で、母園に行くことになったんですね。

--そりゃまた、奇遇ですね!それでいかがでしたか、母園での実習は?

晶子様:あまり懐かしくて、実習を忘れてました(*^^*)。子供たちのことよりも、懐かしい遊具で思い切り遊んでたんですよ。「これで幼児期のモトは取った」………とニンマリしました(笑)

--ははは。話を戻しますが、小学校に御入学遊ばされてからは、どんなお子さんだったんでしょう?

晶子様:幼稚園の時がそういう感じでしたので、地元の小学校に入った時は最初こそ人見知りをしたものでした。けれども、身体もだんだんと丈夫になりまして、友達と良く遊ぶ給食と体育が大好きな子供になりましたね。特に短距離が好きで運動会は大好きな行事でした。
(写真:運動会での晶子様・・・は何着?)
--運動会がお好きだったと。個人的な話で恐縮ですが、わては運動会がイヤでしてね、ものぐさなもんで。晶子様は活発な子供だったんですね。

晶子様:いえ。何せ一日勉強をしなくて良いでしょう? だから、うれしくって。

--なるほど!(爆)。それで、クラブはなにか入ってらっしゃいました?

晶子様:バスケが好きだったんです。小学校の高学年になってから、ミニバスケットボールのクラブに入部しました。でも身長は一番チビでした。それでも、チームメイトとともに栃木県大会にも出ました。

--ほほぉ。大したものですね、それは。

晶子様
:その後、中学生になって、小学校時代のその時の仲間と一緒にバスケットボール部に入部したんです。先輩、後輩の厳しい人間関係を学びつつ、ちゃっかり1年生からレギュラーになれ部活で汗、涙にくれる楽しい青春時代でした。
写真:晶子様の母校・佐野北中のエンブレム)
--1年からレギュラーとは、やはり素質があったんでしょう。ところで、中学生ともなると……ん……そんのぉ……“初恋”……なんちゅーのも、通過遊ばされたんではと?(@_@;)

晶子様:思春期?(^_^;) モチロンありましたよ。初恋は男子バスケットボール部の先輩だったかな?(^.^)b まぁ、普通の中学生でしたね。

--そりゃまた、そのお相手ちゅーのは、どげな方やったとですか?ちょっぴりでも良かですばってん、聞かせてくれんですか?(~Q~;)

晶子様:背は高かったかな?さわやかな感じ、っていうか?

--おおお!そりゃ、わてと瓜二つですよσ(*^^*)

晶子様:ま、よくありがちなタイプだった気がします。

--ありゃま(>_<) ところで、その頃の趣味と言いますか、習い事と言いますか、どういったものを嗜まれてました?

晶子様:五歳からピアノを習っていて、とても好きでした。でも練習はイヤでサボってばかりでしたから、ヘタでしたね。もっと練習しておけば良かったかな。

--どういった曲が好みで、弾かれてましたか?

晶子様:ヘタだったので、練習曲ばかりでしたねぇ。でも憧れていたのはドビッシーなどの綺麗な曲が好きです。癒し系かな。

--印象派ですね。晶子様の御人柄を表しているような感じがします。

晶子様:でも、高校生になってから“事件”があったんですよ。癒しどころか……(>_<)

(第4回へと続く)

九州焼酎探検隊TOPに戻る   第4回へ