『ああ、晶子様!の酒』第2回
晶子様 TALKS MYSELF vol.1

2004.08.19 by 晶子様命@猛牛 2005.02.24 再掲載


(写真:相澤晶子様御生誕時に贈られたというアルバム)
--前回は相澤酒造の沿革を語っていただきましたが、今回は相澤晶子様にググッ!グググググッ!と迫りまして、御自身のこれまでの道のりを、生い立ちからお話いただければと思います。

晶子様:私が生まれたのは、19…8年10月5日の深夜だったそうです。佐野市内にある産院で、父昭一、母祥子の次女として蔵元の家に生を受けました。

--御姉妹がいらっしゃるのですね?

晶子様:はい。すでに長女である姉がおりましたので、家族一同の願いとして「今度こそ男児を!(-人-)」と思っていたそうです。でも、その期待を思いきり裏切る誕生でした(苦笑)。


--やはり跡取り息子をと期待されていたわけですね。なるほど。

晶子様:その後の人生も、親の期待はずれ道まっしぐら、の私ですね(*^^*)

--極めて御幼少のみぎりの晶子様はどんな赤ん坊だったんでしょう?

晶子様:これがその頃の写真なんです。

(写真:相澤晶子様・超御幼少のみぎりの御真影)
--おおっ!これはカワイイ〜。晶子様は双葉より芳し、ですねぇ〜。

晶子様:当時の産院では、専属の母子世話係りがおりましたようで。その時のエピソードに、“できたてベイビイ”の中で一番色白でピンクの頬をした愛らしいベイビイことワタクシは、担当世話係りの自慢だったらしく 色んな人に自慢げに見せるために産院中を連れ回されたらしいです。

--ええ、そのエピソードは納得ですね。世話係さんの気持ち分かります。

晶子様:母いわく、「ホントに綺麗なピンク色のほっぺで可愛かったのよ」。でも続けて「……あの時は…」と溜息。「今はコレだもの…」ですって(怒)

--いえいえ、「今は」なんて、そんなことはありません。

晶子様:さらに追い打ちをかけるがごとく、母が「難が沢山あるからせめて色白にしてくれたのよ。神様が」と言うんです。「色白は隔世遺伝だよ〜( ̄〜 ̄)お祖母ちゃん有難う」って言いたいですけどね(笑)。しかし、その栄光は一瞬にして幕を閉じたのはまぎれもない事実なんです。現在を知る人だったら「アンタにも可愛い時代があったのね」と一笑。( ̄^ ̄)フン!

--以前も今も、秀麗眉目でらっしゃいます。酒造美女の探究では斯界一の目利きと言われているわてですから(太鼓判)、間違いはございません。で、その後はいかがでしたか?

晶子様:その後、離乳食時期に病気になったんですよ。それが元で、食が細く、やせこけてしまって。可愛らしさとは程遠い病気がちな乳児だったそうです。これは幼児期に入っても続き菩提寺にある幼稚園には、休みがちな事も一因して中々馴染めませんでした。しかし、これについては後日談があるんです。フフッ(^!^)

--おろろ?!それは気になりますねぇ(ごくっ)

(第3回に続く)

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