![]() |
|||||||
2000.12.14 by 猛牛 | |||||||
|
|||||||
1)日本史上初めて、単なるアルコールが大衆的に飲まれる。 1910年 愛媛県宇和島の日本酒精(株)が“日の本焼酎”を発売。甲類焼酎が日本で初めて一般吸飲される。単なるアルコールでも飲用可能なことが判明したのは人類の大きな一歩だった。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 2)大正時代、米を使わない酒として、単なるアルコールが人気に。 米騒動を引き起こした米不足の時代、米を使わない酒として甲類焼酎が広く飲まれる。原料の安さと入手の容易さが評価される。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 3)大正時代、単なるアルコールの 医薬的、軍事的、化学的需要が拡大。 第一次世界大戦の影響で、医薬、軍事、科学分野において単なるアルコール需要が拡大。そのため甲類焼酎の製造技術が進歩した。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 4)単なるアルコール、前線に出征。 日中戦争から大東亜戦争へと戦線の拡大につれて、甲類焼酎とその製造技術の軍事的利用が拡大する。甲類焼酎工場は軍事用アルコールの生産に専念。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 5)太宰治、戦争中「焼酎でさえ手に入らず」と嘆息。 大東亜戦争の戦中戦後を回顧した「酒の追憶」で、甲類焼酎でさえ飲めなかった戦中の生活を回顧。甲類焼酎でさえも貴重品であったあの時代の貴重な証言を残す。「酒の追憶」は甲類焼酎への賤視がすでに戦前からあったことを伺わせる貴重なエッセイ。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 6)関東人、闇市のカストリ焼酎で本格焼酎体験を味わう。 敗戦後の混乱の中、闇市に出回ったカストリ焼酎を関東人初めて飲む。粗製の本格焼酎とも言うべきカストリ焼酎は、ガス抜きもせずに売られた。そのため、カストリ焼酎の猛烈な臭いが、闇市体験として汎大衆的トラウマを形成する。(九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 7)昭和24年、単なるアルコール、やっと一般飲用に復員。 昭和24年、酒類の配給制が廃止になり、米や麦を原料としない焼酎や洋酒類の製造が自由化。甲類焼酎工場は焼酎生産の本業に復帰。米を使うことなく大量生産が可能な甲類焼酎は、戦後の食糧難の時代にマッチして年々生産量が急増。昭和31年には250,000klと過去最高を記録し、全酒類生産量の約16%を占めるに至った。単なるアルコールの第一期黄金時代。 (九州南西部では相変わらず本格焼酎が飲まれる) 8)昭和29年、鹿児島県大口市の郡山八幡で 日本最古の本格焼酎の記録を発見。 国の重要文化財のひとつである郡山(こおりやま)八幡神社で、昭和29年、解体修理をした際に頭貫上から1559年に宮大工が残した落書きを発見。日本で初めて「焼酎」の文字が残された最古の資料となる。(九州南西部では戦国時代以来、相変わらず本格焼酎が飲まれる) 9)昭和59年、単なるアルコールが酎ハイとして人気に。 甲類焼酎に、主に植物系のエキスやリキュールを混ぜた酎ハイが居酒屋などで大人気となる。(九州全域および関東でも本格焼酎が飲まれる) 10)平成12年、本格的・本格焼酎ブームを迎える。 『伊佐美』『森伊蔵』『百年の孤独』などのプレミアム焼酎を筆頭に、本格焼酎がブームとなる。生産量の希少性、手作りによる作家性など、単なるアルコールとは違う原料の持ち味を活かした味わいの深さ・広さが人気を得る。(九州全域および関東周辺でもさらに本格焼酎が飲まれる) さて、21世紀は? |
|||||||
|
|||||||
九州焼酎探検隊TOP |