■はじめに

■鯨の街・北九州市に生まれ育って。

岡県北九州市戸畑区。かつてそこには全国を代表する捕鯨基地があった。東洋一と謳われた吊り橋「若戸大橋」の向こうに、棟屋の赤い二重丸のマークが遠くからでも目に付いた巨大な建物があり、横には遠洋航海から帰港した黒塗りの巨大なキャッチャー・ボートが接岸している・・・。

 その風景は北九州市民にとって、とてもとても日常的なシーン。日水の捕鯨基地は港町戸畑のひとつのシンボルでもあった。

 捕鯨の街は、鯨肉の街でもある。戸畑の市場には鯨肉を商う店が多く軒を連ね、ショーケースには刺身として食べる冷凍された鯨の真っ赤な土手肉、ベーコン、おばいけなどが陳列されていた。いまでは見つけることも稀になった鯨肉専門店がそこかしこに賑わいを見せていた。

 ゴムの前垂れを着けたおかみさんが威勢良く客の呼び込みをし、客に冷凍の肉を木の皮に包み新聞紙にくるんで客に手渡しする、そんな風景も懐かしい。

つて、北九州市に生まれ育った多くの人間にとって、“肉と言えば鯨肉”だった。さて“多くの”と断ったのは、八幡製鉄所を頂点とする勤労者のヒエラルキーの中で、下請けや孫受け、さらにその下層と、圧倒的に「貧乏人」の比重が高かったからである。

 当時の生活水準は、すべてにおいて現在とは比べものにならないくらい貧しかった。今から30年以上前の昔、鶏肉や豚肉も、まして牛肉など気軽に手が届く値段ではなかったのである。鯨は最も安く、庶民にとって最も生活に身近なタンパク源だったのだ。

 もちろん私も下層労働者の息子である。家が貧しかったため、牛肉を食べる機会がそうは訪れなかった。小学生の頃、たまに牛肉を食べる機会があったとしても、「今夜はカレーだ」と母が持ってきた皿に入っていたものは切り落としの薄いスライス。普段食卓に肉の塊として並べられるのは圧倒的に鯨肉が多かったのである。

*******************

■最も食卓に身近な存在だった鯨肉。

や私の同世代の北九州人に、鯨こそが自らの体を育み大きくしてくれた“母”であると言ったら、たぶん多くの人が賛同してくれるだろうと思う。まさに鯨こそが、我々のもうひとつの“育ての親”だったと。

 例えば家庭の食卓を飾ってくれた冷凍刺身やベーコン、おばいけ。北九州では冷凍で鯨刺しをいただくのが流儀である。最初にひんやりとし、噛めばサクッっとした歯触り、そして口内で溶けるほどに滲み出る鯨の旨味・・・。

 スライスした鯨肉を生姜醤油に漬けて焼くのも美味だった。母が作ってくれた生姜醤油の味付けは、私にとってまさに“お袋の味”である。塩味の効いたベーコンや酢味噌をかけたおばいけの脂肪の味わいも日常的な食卓の友だった。

 小学校では鯨の南蛮揚げ。そう、小学校の給食にたびたび出てきた鯨の南蛮揚げを私は何杯おかわりしただろう。給食係だった私は、自分のアルマイトのべこべこした器に特に多く盛ってこっそりと鯨に舌鼓を打っていた。あの味も未だに忘れることはできない。

て、もう一つ私にとって最も忘れられない鯨製品がある。それが日本水産株式会社が生産していた通称鯨缶または“日水の鯨の缶詰”、商品名『鯨焼肉 赤肉味付』である。

 この日水の缶詰ほど北九州人の暮らしに根付いていたものはない。他社の製品ももちろんあったが、日水のものしか買わなかった。安価でかつ美味い。たぶんカレー粉を使っているのであろうか、香ばしい日水独特の味付けは絶品だった。ご飯の時はもちろん、酒の肴にも、なにかと食卓に顔を出す商品だった。


 そしていま、それらのすべては想い出の中にしかない。・・・いや、なかったのだが。

*******************

■いまだからこそ、日水鯨缶へのオマージュを・・・。

稿を制作しようと思いたったのは、再び日水の鯨缶がその姿を店頭に現してきたからである。最近の鯨類捕獲調査事業の副産物として生産と販売が行われていたのだ。

 今年の春。北九州への里帰りの途中、コンビニの店頭で缶詰のゴンドラを見ていると、見慣れたデザインの缶詰があった。商業捕鯨の禁止以降、デザインをそのままに原材料がマトンに切り替わって、それからもう10数年以上の月日が流れていた。「どうせ、マトンだろうなぁ」と諦めてはいたが、よく見ると『鯨焼肉』のあの独特の書体が缶の表に踊っていた。

 買った鯨缶を里の父母に見せると、目を輝かせていた。「懐かしいなぁ・・・」。そして今は関東に住む幼なじみにも送った。反応は同じだった。彼は家族にも食べさせず、缶を大事にしまっているという。

 その後、近所のスーパーで大量に鯨缶を見つけた私はうれしさのあまり数十個買いだめしたのだが、単に買いだめするだけでいいのだろうかと、ふと疑問を覚えたのである。

 「いま、高価な珍味としての鯨肉、垂涎の的としての尾の身、そういった稀少食としてだけ鯨が語られるとしたら、庶民の暮らしと長い歴史を分かち合ってきた来た鯨との関わりが忘れ去られてしまうのではないか」

 「欧米化が極度に進んだ現在の食生活の、たかだか30年程度ではあるが、しかし圧倒的な変化の中で、日本人の体質に合致していた鯨肉食のひとつのカタチを永遠に埋もれさせるのは“もったいない”」

 私は「馬鹿野郎!」と心中泣いているのだ。いろんな意味で。

 そこで今回、日本水産株式会社さんのご協力を仰ぎ、『鯨焼肉 赤肉味付』缶詰の誕生とその後の歴史、そして庶民との関わりをすこしでも残せればと思った次第。所詮一庶民の力など非力ではある。がしかし、鯨がいかに庶民の食生活と密接だったかという一面が書き残せれば、と願ってやまないのである。


1999年9月 ビーフハート


■お品書きに戻る  ■物語トップ  ■第一章