横浜・・・ちくわぶの光と影


■嗚呼、横浜のちくわぶ・・・再び。

 私が初めてちくわぶに遭遇したのが今年(99年)の2月、横浜でのことであった。そのカルチャーショックから、この『ちくわぶ倶楽部』をスタートさせたのが5月。そして再び、その“邂逅”とも言うべき運命的な場所=横浜駅西口屋台街を、再度訪れることとなった。

 私の幼稚園以来のポン友が“大都会人”を装っている横浜の、ビルの建ち並ぶ片隅にその屋台はある。店の名は『○○江』。ややご高齢の大ママが店を守っている。

 店内に入る。客は若いカップルが一組。博多の屋台では至極当然の風景であるが、横浜でも同じなのだろうか?。カップルの女の子がえらくカワユイのだ・・・ごくっ。

 喉が鳴ったところで、ネタ鍋を覗く・・・ん?(-ー;。やけにネタがなまっ白いのである。画像には押さえなかったが、卵などそのまんま、真っ白けなのだ。ポン友に聞けば、よくダシがしみた香ばしい卵を出すところもあるそうだが、総じて“色白”を出すところが多いそうである。


 さて、ちくわぶ。ご覧の通り、これまた純白に近い。いや、そのまんまだ。何故にかくも白いのか?博多の屋台ではこれほど浸かっていないのを出せば、「おいちゃん、それ、もちょっと、浸かってからくれんね!」などと声がかかろうというものである。

 さて、一口食べる。おろ・・・(-ー;。これがまたなんとも美味く感じてしまったのだ。ん?どうしたのだ。身体にどこか異変でも起きたのか? ちくわぶ探求のこの半年の間に、いつのまにかちくわぶを求めずにはいられないカラダになってしまったと言うのか?

 ま、それにしても、やはり味のないのはいままでと同じで、いくぶん心身の免疫性が高まったという感じはある。同時に頼んだ「ウィンナー」「シュウマイ」「蛸」・・・これらもなんとも不気味な味だったのだ。特にウィンナーは・・・私は一口食べるとポン友に渡してしまったぁ( ̄▽ ̄;;

 やはり問題はダシにある・・・。



■都市化がもたらす屋台文化の光と影

 翌朝、横浜駅東口にあるカプセルホテルをチェックアウトしようとしたら、ポン友がフロントの所で待ってくれていた。「朝の屋台街を見せてやろう」と言うのである。・・・異論があろうはずはない。

 朝の横浜の、ピークは過ぎたといいながら、博多に比較すると圧倒的に人間が湧いているように見える出勤風景を書き割りに、私とポン友は西口へとせっかちに歩を進めた。

 『○○江』は荒縄にがんじがらめに縛られて、そこにあった。夜とは、なんでも美しく装ってしまうものだ。ぼんやりと灯る「おでん」の文字が気持ちもほのかに包んでくれた風情はなく、否応無い現実がそこにあった。

 『屋台撤去についての警告』という看板である。

 不法占拠の問題は、博多にもある。一代限りで子供には継がせないという規制をかけるとか、地下鉄新路線工事のための立ち退きが問題になるなど、屋台を取り巻く環境は年々厳しくなるばかりだ。

 いったい屋台のどこがいけないというのだろう?屋台には、近世・近代から連綿と続く大衆の食文化の歴史を想うし、特に太平洋戦争敗戦後の庶民生活とは切っても切れない関係を忘れるわけにはいかない。屋台とは、運営する方はそこに生活を賭ける、空腹を満たす方は安価に身近に味と酒に親しみを深められる、ありがたい場所なのだ。

 ちなみに『○○江』の大ママは、屋台撤去反対運動の先頭に立って獅子奮迅されたという。その成果として、私はこの朝、屋台を眺めることができている。都市化の中で失われていくものを深く考えさせられる、そんな朝の風景だった。

 『○○江』に近づいてみると、そっと「リポビタンD」の空瓶が置いてあった。私にはゴミには見えなかった。それはまるで可憐な野辺の花のように、誰かが手向けたかのように、供えられていた。

 荒縄の屋台にドリンク剤の瓶・・・それこそ大衆のリアルな姿がまだ生きている証拠だ、と私は納得しながら、ポン友の見送りを受けて横浜を後にした。

 屋台よ、そして屋台で食べられるちくわぶよ、またいつの日か。
(ん〜〜〜ん、シリアスぅ〜〜)


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